こんにちはコタツです。
和歌山県岩出市にある根来寺(ねごろじ)に行ってきました。
こちらのお寺は、1132年に弘法大師の再来と言われた覚鑁上人(かくばんしょうにん)によって開創されました。
根来寺はどんどん勢力を増し、室町時代末期にはヨーロッパにも名前が知られ、また、戦国時代末期には現在の大阪府の南河内、和泉、岸和田まで勢力が及ぶ程の大きなお寺となりました。
戦国時代には根来衆と呼ばれる僧兵が1万〜2万いて鉄砲隊を持つ強力な戦闘集団であり、周囲の戦国武将にとって脅威でありました。
しかし、1583年3月23日天下統一を目指す豊臣秀吉の紀州攻めによってほとんどの建物が焼失し衰退してしまいます。
江戸時代に入り紀州徳川家の外護を受けて再興しますが、再び以前のように盛えることはありませんでした。
紀州攻めの戦火を免れた大塔。
本堂と大塔は並んで建っています。
素敵な髪飾りをされていたので思わず撮ってしまいました。
他にも庭園など見所はあります。平日に行ったのでほとんど人がいなくて当時の繁栄は感じられず静かできれいな所でした。紅葉の季節に訪れるといいかもしれません。
根来寺の入り口に岩出市民俗資料館があります。
こちらでは、縄文時代からの岩出市の歴史について展示されています。
週末には根来塗り(ねごろぬり)の実演もしているようです。(私が行った時はやってませんでした(T . T))
根来塗りの作業工程が展示していました。
根来塗りは当時貴重な辰砂(しんしゃ)を使った朱塗が特徴の漆器です。朱塗のお椀は一部の高僧だけが使っていたそうです。
日常生活の使用に耐える丈夫な作りで、長年使っているうちに表面の朱漆が薄くなり下に塗った黒漆がでてくるのが美しいと好まれました。
紀州攻めでかなりの根来塗りが失われたそうです。
資料館にはいろんな根来塗りが展示されていました。中でも現代の作家である「池ノ上辰山」と言う方が作られた漆の刷毛の痕が残ったお椀はとても美しくて欲しくなりました。
また、この地方で作られた朱を塗らない漆器を「黒根来」と言うそうです。
漆器の他に、根来寺跡からは中国など外国の陶磁器や素朴な土師器、畿内とその周辺で作られたいぶし焼きで炭素を吸着させた黒灰色の瓦器と呼ぶ土器も多く出土しており当時の賑やかであっただろう生活様式が感じられます。
根来寺から1㎞ほど離れた所に「道の駅ねごろ歴史の丘」があります。
和歌山名物グリーンソフトもあります。
同じ敷地内に歴史資料館があるので、根来寺に行く前に見学するとさらに理解が深まって面白いと思います。
私は、あえて上塗り漆を研ぎ下塗りの黒漆を出す塗り方が根来塗りだと思っていました。以前お会いした根来塗りの作家さんや研修所で一緒に勉強した和歌山県出身のS君の話がどうも噛み合わず話を聞いてもピンと来なかったのですが、今回いろいろ見て回ってあの時の話はこう言う事か!と頭の中でつながる事が多く大変勉強になりました。