器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

春を呼ぶ椿の菓子

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こんにちはコタツです。
昨年末より東北地方や北陸地方で積雪が多くて今年の冬は大変そうだなと思っていましたが、一月に入ると割と過ごしやすい日が続いて気が付けば春の訪れを感じる毎日です。

奈良では3月に入ると東大寺では「修二会(しゅにえ)」と言う行事が行われます。
修二会は日々犯す過ちを十一面観世音菩薩に懺悔し鎮護国家、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされ、1250年前に始まり、その後一度も途絶える事なく現在まで続いています。
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修二会が行われる東大寺二月堂

奈良では修二会の行事の一つである「お水取り」の呼び名で親しまれています。
お水取りの準備で僧侶達が紅白の和紙で椿の造花を作り堂内を荘厳に飾ります。
この時期だけ作られる椿を模した菓子を紹介したいと思います。
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こちらは下御門(しもみかど)商店街にある「鶴屋徳萬(つるやとくまん)」の「良弁椿(ろうべんつばき)」です。真ん中の濃い黄色の餡は卵が使ってあり日持ちしないので次の日までには食べて欲しいと話されていました。
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僧侶達が造花の椿を作っている写真が飾ってありました。


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こちらは、東向き商店街にある「千代の舎竹村」の「御堂椿(みどうつばき)」です。
花を立てた姿がきれいです。花びらの部分がモチモチして真ん中の餡との食感の違いがありおいしかったです。


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最後に、もちいどの通りにある「萬々堂通則(まんまんどうみちのり)」の「糊こぼし(のりこぼし)」です。3個入りを買うと椿が描かれたきれいな箱に入っています。他の2つに比べてかなりやわらかく、口どけがよかったです。

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お菓子を買った時に付けてくれるパンフレットを読むとお菓子を取り巻く歴史などか簡潔にまとめられていてとても面白いです。


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この椿は実家の近くの公園のものです。
椿は木へんに春と書くように春を告げる花と言われ、110歳を祝う「椿寿(ちんじゅ)」と言う言葉もあるなど、人の長寿を祝うおめでたい木で、榊(さかき)や樒(しきみ)より尊い木とされてきたそうです。

もう一つ椿の葉を使った「椿餅(つばきもち)」を紹介したいと思います。
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「おくた」の椿餅です。道明寺粉(どうみょうじこ)で餡を包み椿の葉で挟んでいます。中身は桜餅と同じです。
余談ですが、このお店はお団子がとてもおいしいです。
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椿餅を準備していただいている間に一つ頂きました。


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続いては「樫舎(かしや)」の椿餅です。
赤米を使っているのか赤飯のような色をしています。中の餡と外の餅の甘さのバランスが良くすっきりした味わいです。

椿餅は日本最古の和菓子と言われ、当時、中身の餡は無く道明寺粉を蔦(つた)の樹液を煮詰めた甘葛(あまづら)で練って椿の葉で挟んだお菓子と考えられています。源氏物語にも登場し、蹴鞠(けまり)の後に若い人達がはしゃぎながら食べたと書かれているそうです。

椿餅は京都の方がメジャーな気がします。今回何軒か和菓子屋さんを訪ねましたが、置いてないお店が多かったです。紹介したお店も販売期間は2月中だけとか、あまり長く無いようです。

今回、和菓子を買いに奈良の街中を歩いた時に感じた印象は、寒い冬を終えてお水取りを楽しみに待つ活気を街中のいろいろな所で感じました。
私は、昔から奈良公園やならまちが好きでしょっちゅう歩きまわっているのですが、お水取りに特別な感情を持った事もなく、「今年もそんな季節やなー」位にしか思っていませんでした。しかし、新型コロナが流行して本来賑わう時期に閑散とした商店街や静かな奈良公園を見てると毎年当たり前だと思っていた光景はこのままではどんどん消えてしまうなと感じました。お水取りはこの長くて寒い冬のような一年をなんとかやり過ごし災厄を終わらせて春を望む人達にとって希望の行事なのだと思いました。