こんにちは、コタツです。
もうすぐ桜の季節です。
奈良県で桜と言えば吉野山が有名ですが、「吉野塗り(よしのぬり)」や「吉野絵(よしのえ)」と呼ばれる漆器があり、茶道で茶懐石の料理の器として用いられる事があります。
今回は謎が多い「吉野塗り」について書いてみようと思います。
私自身、吉野塗りの事を知ったのは、石川県で漆器作りの勉強をしてからで、それまで存在すら知りませんでした。
最初、吉野塗りの吉野は奈良県とは関係ないと思っていたほどです。
ただ、黒の器に赤い漆で描かれた植物の文様は素朴ですが、とても惹かれるものがありました。
リサイクルショップで手に入れた吉野塗りの小皿。
漆が痩せて素地の木の木目が見えてます。
何の木を使っているのかは分かりませんが、芯のある材料を使っていることが分かります。(枝の部分かな?知らんけど…。)
決してディスってる訳ではありませんが、縁に厚みのばらつきや欠けなども見られます。
良く言えばおおらか、悪く言えば雑と言った作りをしています。(偉そうにスミマセン💦)
しかし、植物の文様は器の作りなんて気にしないかのように無駄のない筆さばきで描かれています。
吉野塗りは、奈良県下市町(しもいちちょう)が発祥と言われていますが、吉野塗りに関して書かれた資料は極めて少なく、はっきりした事はわかっていません。
以前、割り箸の話で登場した下市町です。
www.utuwa-tabemono.com
ある一説によると、最初は民芸品のような感じで安く大量生産されていたのではないかと考えられています。(そう考えると私が手に入れた小皿はこの地方で作られたものかな?またまた知らんけど…。)
後に絵柄が人気を呼び京都や北陸などでも作られるようになりました。
奈良県下市町の観光文化センターに吉野塗りが少しだけ展示されていました。
現在下市町では漆器作りは行われておらず、下市町最後の漆塗り職人の人が寄贈された仕事道具なども展示されていました。
そして吉野塗りの謎であり特徴が、描かれている花が何の花かはっきりとわかっておらず、芙蓉(ふよう)葛(くず)牡丹(ぼたん)芍薬(しゃくやく)桜のいずれかではないかと考えられています。
いつ頃から作られ始めたのかもはっきりわかっていませんが、吉野山にあるお寺「桜本坊(さくらもとぼう)」に文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が開催した吉野山の花見で使われたとされる吉野塗りの重箱やお椀がいくつか保管されています。
この花見の時に茶人によって考案されたとする説もあります。
桜本坊は飛鳥時代に天武天皇が建立したお寺です。そして、このブログでも、たびたび登場する役行者(えんのぎょうじゃ)の弟子の角乗(かくじょう)が初代住職を務めています。
天武天皇が天皇になる前の大海人皇子(おおあまのおおじ)であった頃に夢でご覧になった「夢見の桜」。
この桜目当てに訪れましたが、まだ咲いていませんでした。(T . T)
毎年4月上旬と11月中旬にお寺の寺宝が収められた宝聚堂(ほうじゅどう)が特別御開帳され、豊臣秀吉の花見の吉野塗りも拝見することができます。
今年の春は4月2日から4月10日までご開帳されます。
画像はありませんが、重箱の内側にも吉野絵が描かれたりと、同じ吉野塗りですがとても華やかな印象を感じる器は一見の価値ありです。
お寺までの道のりは急坂でとてもツラいですが、ぜひ一度訪れてみて下さい。
最後に吉野塗りは茶道をしている人にはよく知られた漆器ですが、吉野ではあまり見かけないのが少し残念に思います。
そして、さまざまな謎も吉野塗りの魅力だと感じました。
帰りに吉野山の食堂でお昼ご飯をいただきながら、「吉野山のお店の器が全部吉野塗りになったらいいのに」
なんて勝手な事を考えながら吉野名物を味わいました。
【参考にさせていただいた資料】
出版:日本美術工芸社
『日本美術工芸』460号
吉野塗の源流をさぐる 高橋隆博