器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

平城宮跡(へいじょうきゅうせき)で古代の都の生活に触れる

こんにちは、コタツです。 前回の記事の続きで、今回は古代奈良の2つ目の都である平城京について話をしたいと思います。

平城京の面積は、藤原京の5.3㎞四方より少し小さくて東西4.3㎞、南北4.8㎞でありました。 その中の平城宮は、1㎞四方に東西250m、南北750mの張り出しがありました。

朱雀門(すざくもん)。

朱雀門から少し入った所で見た景色。 だだっ広い!

平城宮跡は、近鉄大和西大寺駅(やまとさいだいじえき)と新大宮駅(しんおおみやえき)の間にあり、この辺りは奈良市の中心部で車の通りも多くて、かなり混み合うエリアに突如現れる広大な空き地と言った感じです。 遺跡の中を通る近鉄電車。 線路を地下に通す計画があり、もうすぐ見られなくなります。

私は、子供のころからよく訪れていて、その頃は朱雀門(すざくもん)も復原されておらず、ほとんど何も無かったのでソフトボールなどをして遊んだ思い出があります。

現在では朱雀門の他に当時の建物が復元されていて古代の様子を感じることができます。

奈良文化財研究所平城宮跡資料館。 朱雀門からはほぼ反対の位置にあり、遺跡内を歩いて10分ちょっとの所にあります。 あまり日光を遮る場所が無いので、特に夏場に歩く場合日傘や水分は必ず持って行った方がいいです。(もちろん自販機も無く、夏は砂漠みたいに感じます。)

こちらの資料館も無料で見学することができます。 大極殿の模型。

京の人が出迎えてくれました。

伝承料理研究家の奥村彪生(おくむらあやお)さんによって古代の貴族の食卓が復原されています。

器は漆器がメインでした。

ガラス類が超オシャレ!

発掘された漆の器。

食べ物とは関係ないけどこの羊の硯かわいい!欲しい!

木管によって当時の役人の仕事などがわかります。

誰やー!落書きしたのは~!上手やないかー!

そして、挽物(ひきもの)製作している私としては、ぜひ紹介したかったのが百万塔(ひゃくまんとう)に関する展示です。

百万塔とは、764年に起きた恵美押勝(えみのおしかつ)による反乱を鎮めた称徳天皇が反乱で亡くなった人々を悼むと共に国家の安泰を願って木製の3重小塔を100万基作らせました。

平城宮跡では、作りかけの百万塔が見つかっていて百万塔の製作工房があったと考えられています。

完成した百万塔は周辺の10の寺に納められ、現在は、法隆寺に4万数千基が残っているそうです。

発掘された小塔。 複製品。塔の中は穴が空いていて陀羅尼経(だらにきょう)と言うお経を入れてフタをします。 中に入れた陀羅尼経も百万枚印刷されていて、本物は現存する世界最古の印刷物だそうです。

  フタの部分。

当時は一人が轆轤(ろくろ)を回してもう一人が木を削っていました。

木材を爪を使って轆轤に固定しました。使われた轆轤によってによって爪の形が違うようです。

完成した百万塔の底に製作者の名前と完成年月日が墨で書かれており、調査によると、250人の工人が5年半の年月で百万基の小塔を完成させそうです。

単純計算で、1人1日の制作ノルマは500基になるそうです。 全て手作業なのですごい数を仕上げていたことになります。

まさにブラック会社ならぬ、ブラック都ですねー。

削る人も大変ですが、轆轤を回す人も大変そうです。 何人かで交代して行っていたのかな。

その他にも様々な生活用品が展示され当時の様子を知ることができます。

平城京は、都が大阪の難波(なにわ)などに移ったことにより一時的な空白期間はありましたが、約70年続きました。

そして、都が現在の京都の長岡に遷都(せんと)されることになった時に藤原京から平城京に移った時にのように使える柱や瓦などは長岡京に持って行きました。

ちなみに、平城京の建設時も藤原京同様に滋賀県大津市の田上山(たなかみやま)から大量のヒノキが伐採されたため、その影響で現在もはげ山になっている部分があるそうです。

柱を地面から抜いてる模型。 屋根瓦をはずたり建物を解体している模型。

都が平城京に移った後ほとんど何も残らなかった藤原京との違いは、東大寺、薬師寺などの主要な寺院はその後も奈良の地に残り、平安京時代も「南都(なんと)」と呼ばれて宗教的な都市として残り続けました。

遷都後の平城宮跡は、徐々に荒れ地や田んぼや畑になり人々に忘れられて行きました。 再び認知されるのは江戸時代の後半だったそうです。

資料館を後にして、再び朱雀門を出た広場にやって来ました。 こちらには、オシャレなカフェやお土産物屋さんなどがあります。

そして、平城宮跡をより楽しむための施設「平城宮いざない館」に入ってみました。

復原工事の解説コーナー。 古代の大工道具のヤリガンナを使って柱を仕上げています。

平城宮の巨大な復原模型。

体験コーナー入口で兵士さんのお出迎え。

第一次大極殿の5分の1の復元模型。

木簡で遊んだり。

木組を体験したりと平城京の事を知ることができました。

遣唐使船とせんと君。

私は今まで、平城宮跡は何も無い所と言う印象を持っていましたが、今回じっくり巡ってみると以前より見どころも増えており歴史好きには1日でも楽しめる観光地になっていて驚きました。

また、季節を変えると自然観察などの楽しみもあると思います。

帰り際に朱雀門の前の広場を通ると、小学生ぐらいの男の子達が野球をして遊んでいました。 観光客の他にも近所から散歩する人もちらほら見かけました。 平城京が華やかだった時代も見てみたい気がしますが、現在のように観光地としてだけでは無く地元の人たちが自然に集まる雰囲気も奈良らしくゆるくていいなと思いました。