こんにちは、コタツです。
先日、3年ぶりに石川県山中温泉(やまなかおんせん)に行って来ました。
私は山中温泉で、約9年間木地作りの勉強や仕事をしました。 今回は、刃物作りや材料集めなどの仕事も兼ねての旅行ですが、後半富山県にも行って楽しんで来ようと思います。
到着して早速、轆轤(ろくろ)の師匠とも再会できました。
師匠は御年80歳を超える高齢ですが中身は小学生のような人です。 いつも近くの里山に遊びに行き、クマのフンや脱皮したヘビの皮にカモシカのガイコツなどをわざわざ拾って来ては、必死に木地を挽く弟子たちの元に見せにくる非常に困った人です。(笑)
当時色んなことで悩んでいた私は、そんな子供のような無邪気な雰囲気の師匠に人生観が変わるほど救われました。(怒るとめちゃくちゃコワいけど…。)
それから、よく山菜採りやキノコ狩りに連れて行ってもらいました。 山の中でいろいろな木の特性などを教えていただいたりと今となっては貴重な体験をさせていただきました。
4年間、轆轤や漆について学んだ「石川県挽物轆轤技術研修所(いしかわけんひきものろくろぎじゅつけんしゅうじょ)」。
余談ですが、未だに轆轤と言う漢字を何も見ずに書けません。
研修所には展示スペースがあり、見学することができます。 許可を得て写真撮影をさせていただきました。
山中漆器は、およそ400年前に、山中温泉の上流にある真砂(まなご)と言う地域に山を移動しながら木地を挽く木地師集団が移り住んだことが始まりだそうです。
やがて、下流の山中温泉でお土産のお椀が作られるなど木地の生産が盛んになりました。 そして現在、全国一の木地生産量を誇るそうです。
挽く人と回す人の2人で動かす初期の形の轆轤。
一人で足で踏んで動かす足踏み轆轤。
現在の山中式轆轤。 電動で動きます。
丸太からお椀ができるまでの工程。 山中漆器の特徴に、木を縦方向で使う竪木取り(たてきどり)があります。 横木取りに比べて木が動きにくいため、ふた付の椀や茶筒など精密なものを作ることに向いています。
それから、もう一つ大きな特徴は専用の刃物で木地に模様を付ける加飾挽き(かしょくびき)にあります。
職人がそれぞれ工夫した刃物を作り、競い合うように様々な加飾を考案しました。 昔は技が盗まれることを防ぐために加飾の刃物を見せないようにすることもあったそうです。
その後、刃物作りを3年ぶりに行いました。 山中では、基本的に自分の刃物は自分で作るスタイルです。そして、木地を挽く刃物を「カンナ」と呼びます。
作り方覚えてるか不安…。😰 さあ、頑張ってみよう!
コップなどの底を仕上げるカンナを作ろうと思います。 地金と呼ぶ柔らかい鉄を火で熱してから作りたい形にハンマーで叩き伸ばします。
地金に「ハイス鋼」と言う硬い鉄の板を形を合わせて切り、銅板とホウ酸を使ってロウ付けと呼ばれる方法で接着します。
ロウ付けが終わって油に入れて冷やしている所。
私はカンナ作りが下手で恥ずかしいため完成品はお見せしませんが、久しぶりにしてはまあまあ上手く出来たかなぁと思います。(何事も自画自賛!)
私は研修所に入った当初、道具はホームセンターとかで購入するものとばかり思っていました。まさか自分で作ることになるとは考えてもおらず、2~3㎏のハンマーで金属を叩き出すのですが、初めてハンマーを振った日から一ヶ月位は、ひどい筋肉痛になって動けませんでした。
カンナ作りを終えて山中温泉の中心でもある「山中座(やまなかざ)」に行ってみました。 「菊の湯」(女湯)いつも入っていた公共の温泉。 お湯が熱くて浴槽が深いのでとても体が温まります。
山中座の内部。 天井やドアなどに祭りの様子や菊の絵柄などが漆塗りと蒔絵(まきえ)で描かれています。
トイレのマークも轆轤で挽いた木地に漆塗りで作られていました。
今回泊まった宿は女性専用で、な、なんとアルコールが飲み放題でした! 朝食時もビールを飲んでる人がいて、大変うらやましかったです。(T . T)
夜には宿まで友人が遊びに来てくれて一緒にご飯を食べたり温泉に入ったりと楽しく過ごせました。
約12年前、仕事を辞めて軽自動車に布団などの生活用品を満載して「これから自分の人生はどうなるのだろう?」と新生活の期待よりも大きな不安を抱えながら、石川県へ向かうために北陸自動車道を走っていたことを今でも鮮明に思い出します。
山中温泉で過ごした日々は、楽しい事だけじゃなくて大変なことも多くて、勉強を途中で投げ出して奈良に帰りたくなったこともありました。
師匠はじめいろいろな人に出会えた事、1つの事を自分の気の済むまで取り組めたことは私にとって貴重な財産となりました。
今回久しぶりにお世話になった方々にお会いすることができ、私の山中温泉での生活は多くの人達に支えられて送れていたのだなと改めて思いました。
帰り際に見かけた2重の虹。
「がんばれ!」と背中を押してくれているように感じました。