こんにちは、コタツです。
またまた、引き続き富山編です。
前回の紹介した「たら汁」にまつわる漁業文化やヒスイなどの古代の石の加工文化を調べたいと思い、朝日町のある考古学博物館の「まいぶんKAN]と言う施設を訪れました。
ですが、残念ながらこの日は展示入れ替えのため休館していました。(T-T)
その後ふらふらと車を走らせて、近くの朝日町歴史公園(あさひまちれきしこうえん)と言う場所にたどり着きました。
看板の後ろに古民家が立っていたので、どんな施設かはわかりませんでしたがとりあえず中をのぞいてみました。
中には誰もおらず、「また休業か」とがっかりした気分で帰ろうとすると建物のそばから施設の方が出てこられ「よかったら中へお入り下さい」と中に入れていただきました。
こちらの建物は、江戸時代中頃に立てられた宿場町の町家をこの地に移築したものだそうです。
古民具やお花がセンス良く飾られていて、とても居心地のいい空間です。
「バタバタ茶飲みませんか?」と声をかけられたので、興味があったので喜んでいただくことにしました。
「バタバタ茶」とは、朝日町の蛭谷(びるだん)集落でに古くから飲まれていた「黒茶(くろちゃ)」を、室町時代にこの地を訪れた蓮如上人(れんにょしょうにん)と言う浄土真宗の僧侶が仏様に供えるお茶などに利用したことが始まりと推定されています。
釜や鍋で沸かした黒茶を、茶碗に入れて専用の茶筅(ちゃせん)で泡立て飲みます。
茶碗に茶筅をカタカタと当てながらお茶を泡立てています。
泡立ったバタバタ茶を飲んでみると、ウーロン茶にちょっと似た独特の苦みとコクがありますが、今まで飲んだことが無いお茶の味でした。そして、泡立てたことによってまろやかになってとてもおいしかったです。
「黒茶」は、製造工程の途中で乳酸菌の力で発酵させた「後発酵茶(こうはっこうちゃ)」に分類されます。
同じ種類のお茶として中国の「プーアール茶」や土佐の「碁石茶(ごいしちゃ)」などがあるそうです。
ちなみに、緑茶は「不発酵茶」に分類されます。また、紅茶は「発酵茶」、ウーロン茶などの「半発酵茶」もありますが、こちらは菌の力ではなく茶葉の酵素の力で発酵させるため、発酵の基本である「微生物の働きで食物が分解され、人間に有益に作用すること。」とは違うため厳密には発酵とは呼べないそうです。
自分でも泡立ててみました。
特に難しい作法も無いそうで、専用の茶筅をカタカタと茶碗の縁に当てて泡立てます。 この時の動作から「バタバタ茶」呼ぶようになったそうです。
そして、茶筅を当ててもびくともしない丈夫な茶碗は、バタバタ茶専用の「五郎八茶碗(ごろはちちゃわん)」と呼ぶそうです。
お土産にバタバタ茶を購入しました。
次に、施設の方に教えていただいた「五郎八茶碗」を作っている工房に向かいます。
こちらは、建物全体が工事中で教えてもらわなかったら絶対素通りしていたと思います。
中は、陶芸体験もできる広い工房です。
朝日町出身の陶芸作家である野村彰(のむらあきら)さんが開いた窯で制作された陶器を「赤川焼(あかがわやき)」と呼ぶそうで、朝日町で1度途絶えた五郎八茶碗作りを再興されたそうです。 野村さんに「バタバタ茶」に関する貴重な本も見せていただきました。
「バタバタ茶」に使用される専用の茶筅。 2本の茶筅がつながった独特の形をしていることから「夫婦茶筅(めおとちゃせん)」と呼ばれることもあるそうです。
竹を2本つなげた形になったのは、蛭谷集落では細い山竹で作っていましたが泡立てるのに物足りなくなり2本つなげたそうです。しかし、朝日町では作る人が高齢でやめてしまったため現在は手に入らないそうです。
写真の物は、今後の見本として少し大きめに作られています。
赤川焼の五郎八茶碗を見せていただきました。
五郎八茶碗は、茶道で使われる抹茶茶碗より小ぶりな茶碗で手のひらにすっぽりなじむ感じです。 五郎八茶碗の名前の由来と新潟県の酒造メーカーの菊水酒造が販売しているにごり酒の「五郎八(ごろはち)」と関係あるのか尋ねてみると、野村さんも以前に気になって菊水酒造に確認したら特に関係なかったそうです。
後ほど調べたところ五郎八茶碗は出雲で作られて、江戸時代中頃から明治30年代まで多くあった大阪と北海道をつなぐ北前船(きたまえぶね)と呼ばれる交易船によって各地に運ばれました。
北前船は各寄港地で売れそうな商品を船に乗せて他の寄港地で売っており、五郎八茶碗も青森あたりまで普及したそうです。
また、朝日町では五郎八茶碗を呼ぶのに対してお隣の入善町(にゅうぜんまち)ではなぜか「天目茶碗(てんもくちゃわん)」と呼ばれているそうです。
こちらも調べてみたところ五郎八茶碗が登場する前は、薄いすり鉢状の天目茶碗が用いられていたそうなので、その名残では無いかと考えられます。
少しづつ形の違う五郎八茶碗の中から気に入った1つを選んで購入しました。
朝日町のヒスイ色の器など赤川焼の器をいろいろみせていただきました。
その後、旅行から帰り自宅にてバタバタ茶を点ててみました。
朝日町のバタバタ茶と新潟県糸魚川市のバタバタ茶。
糸魚川では、ネットでバタバタ茶の夫婦茶筅が販売されていたので、茶葉と共に購入しました。
黒茶の茶葉だけの朝日町のバタバタ茶に対して、糸魚川のバタバタ茶にはカワラケツメイ茶、ほうじ茶、炒った大豆に茶の花などがブレンドされています。
朝日町と糸魚川市は隣り合っているのにお茶の中身が全然違うのが驚きでした。
茶葉をお茶パックに入れて良く煮出します。
朝日町では鍋や釜など煮出したバタバタ茶を淹れてその都度温めて1日中飲み、しっかり泡立てたり、ほとんど泡立てないなど、それぞれ好きなように飲むそうです。
夫婦茶筅をカタカタさせながら泡立てると面白いように泡立ちます。 味は…。ちょっと煮出し足りないようであまりコクが感じられませんでした。
朝日町でいただいたバタバタ茶は独特のコクが癖になりそうなおいしさだったので、煮出し方や茶葉の量を考えて、おいしいバタバタ茶が飲めるように工夫したいと思います。
バタバタ茶のようにお茶を泡立てる飲み方を「振茶(ふりちゃ)」と言うそうです。
バタバタ茶の他に有名な振茶には、島根の「ブクブク茶」や沖縄の「ボテボテ茶」があります。
茶道が上流階級の文化だったことに対して、振茶は仏教文化が始まりの庶民の中で広がった飲茶習俗だそうです。
平安時代に空也上人(くうやしょうにん)と言う僧侶が疫病が流行った時に薬草を煎じて人々に振舞ったことが始まりと伝えられています。
泡立てることでお茶の薬効を高め、また泡立てる茶筅は道具としてより邪悪を取り除く呪具(じゅぐ)や祝い棒の意味合いが強かったのではないかと考えられています。
奈良の西大寺(さいだいじ)では、1239年に叡尊(えいそん)と言う僧侶が大きな鉢と茶筅で茶を点てて仏様に供えた後に僧侶たちにふるまった行事が「大茶盛り(おおちゃもり)」として現在でも続いています。
まわし飲みは伝統的な飲み方ですが、現在は新型コロナウイルスの影響で一人一椀で飲むことになっているそうです。
特別な作法が無いこの行事は振茶が由来と考えられていて、現在は抹茶を使用していますが始まった当時は抹茶は手に入りにくく、バタバタ茶のように煎じたお茶をたてていたのではないかと考えられています。
また、全国にも振茶の文化はありましたが戦後急激に衰退し愛知県や広島県など多くの地域で消滅してしまったそうです。
私の住む奈良県にも、もう一か所橿原市(かしはらし)の中曽司町(なかぞしちょう)と言う地域に抹茶にキリコと言うかき餅を入れた振茶文化があるそうですが、これからも続いていって欲しいと思います。
そして、機会があればいただいてみたいです。
<参考にさせていただいた本>
続 振茶の習俗
著者 漆間元三
発行所 有限会社岩田書院