こんにちは、 コタツです。
3月末の話ですが、奈良市の平城宮跡(へいじょうきゅうせき)で開催された「平城のとよほき」と言うイベントに行ってきました。
遠くに見える朱雀門(すざくもん)
正倉院宝物の「碧地金銀絵箱(へきじきんぎんえのはこ)」を模した紙箱の絵付け体験を予約していたので参加しました。
本物の画像。
完成見本。
下絵に沿って絵の具で色を塗ります。 他の人はもっとカラフルで凝った感じに仕上げていたのですが、私はセンスも時間も無かったので急いで色を塗りました。
色塗り体験終えてから、古代のお菓子を研究されている前川佳代(まえかわかよ)先生の奈良時代のお菓子に関する講演会を聞きに行きました。
ツタの樹液を煮詰めて作ったシロップの「甘葛煎(あまづらせん)」が展示されていました。
この「甘葛煎」は再現されたもので、大量のツタから採取されるシロップはごくわずかと大変貴重なため、さすがに味見はさせてもらえませんでした。
平安時代に清少納言(せいしょうなごん)が執筆した随筆「枕草子(まくらのそうし)」の中にも、かき氷に「甘葛煎」をかけて食べる話が登場します。
奈良時代の資料にも「菓子」と書かれていて、その多くは果物だったと考えられていますが、「餅(ピン)」と呼ばれる加工菓子も存在していたそうです。
油で揚げたドーナツ的な物や薄く延ばして茹でたうどん的な物など、小麦粉で作った中華的な物を「菓餅(かへい)」と呼んでいたそうです。
平安時代に入ると「菓子」と前菜、軽食的な「餅」に分けられるなど、より細かく分類や定義付けが行われました。
また、菓子は宮中だけではなく神社のお供え物である「神饌(しんせん)」として用いられたり、諸国の寺院に製法が伝えられ法会(ほうえ)での菓子が統一されたそうです。
古代のお菓子が日本に伝わったルーツや現代の材料で作る方法など、興味深いお話をたくさん聞くことができました。
講演が終わった後、再現された古代菓子を味わいました。
古代スイーツボックスを購入してみました。
黏臍(てんせい)。
臍(へそ)に似せて作るそうです。
薄くコシのある生地の中に、鮭とクリームチーズ?が入った塩気のあるものや、果物のジャムが入ったものがあっておいしかったです。
餅餤(べいだん)。
薄く延ばした生地で肉や野菜を包んだ古代のクレープ。
糫餅(まがり)。
藤ツルのような揚げ菓子。 ドーナツのようにフワフワしておらず、結構固かったです。
乳粉粥(ちちふんしゅく)。
澱粉(でんぷん)をミルクで煮固めたもの。
古代中国の医学書には「からすうりの根から取り出した澱粉で粉粥を作って酪乳に入れて食べる」と記載されているそうです。
もちもちしておいしかったです。
暑預粥(いもがゆ)。
遠くに朱雀門を眺めながら古代のお菓子をいただき、とても雅(みやび)な時間を過ごしました。
後日、現在でも作られている古代の様式のお菓子を求めに京都と奈良市を訪れました。
京都府八坂神社(やさかじんじゃ)。
八坂神社のすぐ近くにある和菓子屋「亀屋清永(かめやきよなが)」。
こちらでは、巾着のような形をした揚げ菓子の「清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)」と餃子のような形をした「餢飳(ぶと)」を手に入れました。
亀屋清永のパンフレットによると、この二つは、唐菓子(からくだもの)と言って奈良時代遣唐使により日本に伝わったお菓子の一種だそうです。
餢飳を包丁で切ってみましたが、皮がカリカリに揚げられているためきれいに割れませんでした。
2種類のお菓子の味は、中身の餡にお香が入っているため口に入れた瞬間お寺の中のような、何とも不思議な風味がしました。
続いて奈良県奈良市の和菓子屋「萬々堂通則(まんまんどうみちのり)」に行きました。
餃子のような形をした「ぶと饅頭」を購入しました。 こちらの「ぶと饅頭」は、春日大社(かすがたいしゃ)の神様にお供えする神饌(しんせん)菓子である「餢飳」の形を表し柔らかく食べやすく工夫されて作られたお菓子だそうです。
味は、餡の入ったドーナツのようで、柔らかくておいしかったです。
その後、清浄歓喜団の独特な形が気になっていろいろ調べていたところ、このお菓子は仏教の聖天(しょうてん、しょうでん)様とつながりがあることがわかりました。
聖天様とは仏教の守護神の「歓喜天(かんぎてん)」のことであり、インドのヒンドゥー教のガネーシャがルーツだそうです。
奈良県生駒市(いこまし)にある日本三大聖天の一つ「生駒聖天(いこましょうてん)」を参りに宝山寺(ほうざんじ)を訪れました。
聖天様の象徴である巾着袋。 その中にもう一つの象徴である大根のモチーフが彫られています。
巾着袋の中には砂金(宝)が入っていて、信じる者に与えられると言われています。(信じますっ!!! (¥_¥))
巾着型のお菓子は「歓喜団(かんきだん)」「団喜(だんき)」とも呼ばれ、平安時代には特に格の高い8種類のお菓子「八種唐菓子(やくさのからくだもの)」の一つとして定められていました。
「歓喜団」は、聖天様の大好物で、インドの「モーダカ」と言う米粉や小麦粉を練った中にココナッツなどの餡を入れて作ったお菓子がルーツと言われています。
現在も聖天様には、行事などの時に「歓喜団」をお供えしているそうですが、手作りの「歓喜団」をお供えしているお寺もあるそうです。 最後に、前川佳代先生が書かれた平安時代のお菓子を現在の材料で再現したレシピ本を見つけたので古代のお菓子作りに挑戦しました。
米粉を練って平安時代中期に書かれた「うつほ物語」の中に節句の宴の場面で登場する「からくだもの」を作ります。
水で練った米粉を一度茹でてから搗いて餅にして、イチゴジャムとブルーベリージャムで色付けして形作ります。
油で揚げて完成です。
あまり揚げすぎると色が悪くなるのですが、ブルーベリージャムは割といい色に仕上がりました。
外カリカリ中はもちもちで紅茶に合ってとてもおいしかったです。
また、神饌の唐果物の形について興味深い内容の展示があったことを思い出しました。 以前訪れた滋賀県の琵琶湖博物館で行われた滋賀県の食に関する展示。
滋賀県東近江市黄和田町(ひがしおうみしきわだちょう)の日枝神社(ひえじんじゃ)に受け継がれている神饌「ちん」のひな形。
この木製ひな形をもとに神饌を作ります。
集落の男性が「ちん」を作っている様子。
ひな形と共に、神饌作りが代々受け継がれています。
続いて、「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)」に登場する「芋粥」を作りました。 山芋をそぎ切りにします。
本来は「甘葛煎」を使うそうですが、手に入らないため砂糖を入れたシロップで代用しました。 シロップの中に山芋をいれて煮込みます。
山芋に火が通り柔らかくなれば完成です。
当時、芋粥は銀の器で提供されるほど高級なスイーツだったそうです。
「今昔物語集」の芋粥のエピソードは、中学生の時授業で習ったおぼえがあります。
一人の侍が「一度でいいから芋粥を腹いっぱい食べてみたいなー」と呟いたのを聞いた同僚が、芋粥を大量に作っておもてなししてくれました。大量の芋粥に圧倒された侍は、お椀1杯の芋粥も食べきれずに「お腹いっぱい」と言ってしまうお話でした。
その話を聞いた当時中学生の私は芋粥を食べてみたくなり、家に帰って早速サツマイモの入った米の粥を作ってみました。
しかし、米の量の加減がよくわからなかったので大量に粥ができてしまい食べきるのにとても苦労した思い出があります。
芋粥と言えば、てっきりサツマイモが入ったお粥だと思っていたので、まさか山芋の甘煮であったとは思いもよりませんでした。なんだか数十年ぶりに答え合わせができた気がしてうれしかったです。
古代菓子の多くは中国だけではなく現在のイランなどの中東がルーツの物もあると考えられています。
東南アジアには、先ほど紹介した芋粥のようにタロイモをパームシュガーで甘く似て食べるお菓子があります。
また、アフリカなどでも日本に伝わった古代菓子とよく似た製法の食べ物があるそうです。
簡単に砂糖や調味料が手に入らない時代に、古代の人々は知恵や工夫を重ねておいしいお菓子を作っていました。 さらに、他の地域の食文化を取り入れて現代の私達から見てもグローバルで豊かな食文化を楽しんでいたのだなと思いました。
【今回参考にさせていただいた本】
古典がおいしい!平安時代のスイーツ 著 者:前川 佳代・宍戸 香美 発行所:株式会社かもがわ出版