器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

気分は丸太!北山村の筏(いかだ)下り

こんにちは、コタツです。
夏が大の苦手な私は、暑さで溶けそうな毎日を送っています。

先日、和歌山県北山村(きたやまむら)で、昔行われていた木材運搬技術の筏下りを体験して来ました。




北山村は奈良県と三重県の間にある日本で唯一の飛び地の村です。
「じゃばら」と言う柑橘系の果物と筏(いかだ)下りが村の名物です。


観光センターのある「おくとろ公園」にやって来ました。
こちらであらかじめ予約しておいた筏下りの受け付けをします。



実物の筏が飾ってありました。


敷地内の道の駅で名物のじゃばらジュースとめはり寿司を買いました。
公園内には温泉や宿泊施設、レストランなどもありました。


観光センターの中に筏下りに関する展示があります。




林業が盛んな北山村では、約600年前から伐採した木材で筏を組んで川を下り新宮(しんぐう)まで運んでいました。
そこから海を運ばれ、豊臣秀吉の時代の伏見城や江戸時代に江戸城の建築にも北山村の木材は使われたそうです。


地図ではだいたいこの辺りだと思います。

筏下しを行う筏師(いかだし)は、激流の北山川を下る命懸けで厳しい仕事でしたが、他の職業に比べて高給なこともあり、明治時代には500人ほどいました。

しかし、上流にダムができたことや道路事情が良くなり木材の運搬がトラックに変わったことで、1963年に木材運搬のための筏下しは廃止になりました。

そんな中、伝統の筏下しをなんとか残そうと観光客を筏に乗せる「観光筏下り」の構想が上がりました。

それまで、全国で筏に観光客を乗せて川を下る前例が無い事から安全性に問題があったため、独自の安全規定を作成し、海運局の安全指導を受けて1979年に「観光筏下り」が誕生しました。



観光センターからバスで筏乗り場の「オトノリ」まで移動します。

オトノリは、現在では「音乗」と書きますが、かつては危険な筏に乗るのは家を継ぐ長男ではなく弟が乗れと言う意味でオトノリと名付けられた伝承があるそうです。




バスの停車場から結構急な階段を降りて行くと、今から乗る筏が見えてきました。

安全の注意事項を聞いてから筏に乗り救命胴衣を着用した後いよいよ出発します。


筏の両サイドを筏師が忙しく歩きまわりながら筏を前に進めます。


出発後すぐに急流ポイントが現れて水飛沫をあげて岩の間をすり抜けます。
筏が大きく揺れてすごい迫力です。

急流ポイントでは立っている事が多くてあまり写真が撮れませんでした。



北山川をはさんで向かって右側が和歌山県、左側が三重県になります。

その後、流れが緩やかな所で筏の端に座り川に足をつけます。
冷たくて気持ちが良かったです。
この辺りで水深20メートルくらいあるそうです。

普段は水深が浅く、上流にある小森ダムが筏下りの時間に合わせて「観光放流」を行い水量が保たれています。



3人の筏師が筏を操作します。
岩に竿(さお)をたてる場所など全て決まっているそうです。


筏を漕ぐ櫂(かい)は、筏師がそれぞれ作ります。
昔は冬でも筏下しが行われていたため、乾燥が早く凍らずに使える朴(ほお)の木が使われています。



櫂を入れる輪っかの部分は「ネジ木」と言ってヒノキの枝をねじって作ります。
現在は筏をワイヤーで連結していますが、昔はネジ木で筏をつないでいました。
ネジ木を作る職業もあったそうです。



行程の中で最大の難所に差し掛かりました。
ここでは、筏が直角に曲がるため、筏師が息を合わせて筏をコントロールします。

岩スレスレを筏が進み、とてもスリリングでした。


筏の長さは、30メートルでそれより長いと先程の直角に曲がるポイントで曲がれず、また、30メートルより短いと筏がクルクル回ってしまうそうです。

昔は、筏師が一人で筏を操作して川を下っていました。

筏下しは1月7日が仕事始めで、冬の冷たい川の中でも筏下しは行われていて、新宮まで筏を運び終えた筏師は、櫂と棹を担いで北山村まで歩いて帰ったそうです。


行程の途中にある特徴的な岩には「かえる岩」などの名前を付けて、川の水量を仲間に伝えていました。



70分の行程もあっという間に終わり終着地点の小松(こまつ)に到着しました。

とても楽しかったので、機会があればまた乗りたいと思いました。

今年は9月末まで1日2便(木曜日休み)運行するそうです。


後日、筏下りの写真を撮りに北山村を訪れました。
この時は子供達が乗っていて、近づくと皆んな手を振ってくれました。

筏下りの後、北山村から下流にある奈良県十津川村(とつかわむら)の瀞峡(どろきょう)に行きました。





ここは、奈良県、三重県、和歌山県の県境があります。

上の画像の川が曲がっているあたりが三県境かな?
三県境まで行ける小舟が出ているので、いつか乗ってみたいです。





「瀞ホテル」と言う名前のカフェに立ち寄りました。
昔はホテルだったそうですが、現在はカフェとして営業されています。

瀞峡を眺めながらゆったりとした時間を過ごせました。

15時前に私が帰るとお店を閉めていたので、その日によって閉店時間が変わるのかも知れません。


筏師の様子を描いたクリアファイルをお土産に買いました。

奈良県で生まれ育ちながら、紀伊半島の下の方にはほとんど行った事が無く、今回の筏下りもつい最近知りました。

近頃は、急激に人々の生活習慣が変わっていて、昔の人達が長い時間をかけて育んできた伝統が近年になって消えてしまうことが多いです。

そんな中、かつて村の生活を支えた大切な職業の筏下しを形を変えて守っていくことは、大変だろうけど素晴らしいなと思いました。


これからも筏下りがずっと続いて欲しいので、
また、筏に乗りに行きたいと思います。