器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

富山県旅行記 〜寒ブリを食べたりヒスイを拾ったり〜

こんにちは、コタツです。 前回の旅の続きで石川県からお隣の富山県に向かいました。

石川県では、仕事の関係を済ませて残りの富山県は100%観光で楽しみなのであります。

まとまりの無い記事ですが、1つの記事にするほどでもないけど素晴らしい場所が多くあったので少しでも紹介できればと思います。

能登半島にある富山県高岡市(たかおかし)「雨晴海岸(あまはらしかいがん)」。

写真のように晴れていたら富山湾を挟んだ向こうに立山連峰(たてやまれんぽう)が見えます。

映える写真でも撮りたいなと思って旅行の予定に入れましたが、あいにくの雨でただの海の写真になりました。(-_-)

せめてもの思い出にJR氷見線(ひみせん)の電車が走って来るのを待ちました。

続いて、20分程車を走らせて富山県氷見市(ひみし)にやって来ました。

氷見市は閑散とした港町といった印象でしたが、漫画家の藤子不二雄A先生の出生地で街中には漫画のキャラクターの人形があちこちに置いてありました。

「ドーン!!」

お気に入りは喪黒福造(もぐろふくぞう)。 ここにも喪黒福造!

こんなん夜道で見たら悲鳴上げそう。

その後、氷見漁港の2階にある「魚市場食堂」で寒ブリをいただきました。 まだあまり寒くなっていないためか脂ののりはいまいちでしたが、とてもおいしかったです。

商店街の魚屋さんで1匹だけ売れ残っていた子。

冬の氷見漁港で水揚げされたブリは、丸々と太り脂も多く「氷見の寒ブリ」と言うブランドの称号が与えられます。

富山湾では、秋から冬にかけて地響きがするような雷と共に強風が吹き荒れます。 その荒天は「ぶりおこし」と呼ばれ、ブリが南下するのを妨げ氷見漁港ではブリが豊漁となるそうです。

この日の夜は富山市に泊まり、次の日は新潟県に近い朝日町(あさひまち)に向かいました。

富山市から朝日町までは北陸自動車道で行くことができますが、並走する形で国道8号線が通っています。

私は、急ぎでない時は国道8号線を通ります。

その訳は、富山県はあまり建物が密集しておらず、ゆったりと広がる田園風景の奥に立山連峰が雄大にそびえたつ姿が圧巻の景色で、高速で走り抜けるともったいなく感じるからです。

普段は、信号に引っ掛かるとすぐイライラしていますが、富山県では景色の良いところでは「赤になれ!」と思ってしまいます。

朝日町に入って海沿いを走っていると、「ヒスイ海岸」と書かれた看板があったので立ち寄ってみました。

ヒスイと言えば朝日町のお隣の新潟県糸魚川市(いといがわし)が有名ですが、朝日町の海岸でも採れるようです。

「ヒスイテラス」と言う無料の観光施設に入りました。 中には、海岸で採れたヒスイや鉱石が展示されていました。

施設の裏口から海岸に出ることができます。 雨が降っていて人がほとんどいません。

最初は、話のタネになればいいかな位の気持ちで探してたのが段々ムキになり、長靴に履き替えるため一度車まで戻り本気モードで探し始めました。

時折、大きな波が来て逃げ遅れ長靴の中まで水が入ってしまいました。

波が来るたびに砂浜の石が一斉にゴトゴトと音を立てて動いていて、波の力の強さを感じます。

拾い集めた石を持ってヒスイテラスに戻ると施設の人が簡易で鑑定してくださいました。 トレーに石を入れるなり「ハズレ」と言われました。

ヒスイ探しのポイントを頭に入れて再びチャレンジします。

施設の人に「50回に1回強い波が2回続けて来るから気をつけてね。」と言われましたが、数えてないのでいつが50回目の波かわからず長靴もズボンもずぶ濡れになりました。

「ここまで来たら手ぶらで帰れるか!」 と日本海の荒波と一人戦いながら血眼で探しました。

選りすぐりの石を持って再び鑑定してもらいました。

この石がネフライトと言うヒスイの仲間だそうです。

あとの2つは石英(せきえい)です。

喜んでいると、近くにいた人から駐車場で拾ったヒスイをいただきました。 さらに、施設の人から蛇紋岩(じゃもんがん)と言う鉄にひっつく磁石のような石もいただきました。

冬は人が少なくて超穴場ですが、海が荒れて危険だし雨も降って大変だったので、穏やかな夏にサンダルで探すともっと楽しいかなと思いました。

その後、再び国道8号線を走り新潟県糸魚川市に行きました。

ヒスイは、糸魚川市を流れる姫川(ひめかわ)と青海川(おうみがわ)から流出し、糸魚川市や朝日町の海岸まで運ばれます。

姫川の上流を目指します。 遠くに見える山は雨飾山(あまかざりやま)と言います。

姫川上流には、フォッサマグナパークがあります。 フォッサマグナは日本列島を東西に分ける大きな溝で、その西の端となるこちらは糸魚川-静岡構造線と呼ばれます。

境界の立て札の部分が糸魚川ー静岡構造線で東側が北アメリカプレート、西側がユーラシアプレートになります。

せっかくここまで来たので2つのプレートをまたにかけて立ってみたりしました。

断層を人工的に露出させて見学できるようにしてあり、東西で断層の色の違いが確認できます。

この線で日本は東日本と西日本に分かれて、地質だけではなくお正月の餅が丸か四角かや、ダシの取り方などの生活習慣も異なるそうです。

約5億2000万年前に始まったプレートの沈み込みによってヒスイが生成されていったと考えられています。

また、糸魚川産のヒスイは縄文時代から加工されていて、遠く青森県にある縄文集落の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)でも出土しており、広い範囲でヒスイを使った交易が行われていたと考えられています。

日本産のヒスイは古墳時代頃まで盛んに使われていましたが、やがて歴史からその姿を消していきました。

そして、近年この地域で古代からヒスイが採取、加工されていたことが発見され、現在ではヒスイは国石に選定されるなど糸魚川のヒスイは広く知られるようになりました。

今回の旅は、少し新潟県にも訪れましたが主に富山県の海沿いを見て回りました。

どこも魅力あふれる場所で楽しく旅することができました。しかし、富山県にはまだまだ魅力的な所が多くあるので、またいつかゆっくり旅したいなと思いました。

次回も、富山編続きます。