器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

轆轤(ろくろ)の話

こんにちは、コタツです。 早いもので3月も半ばを過ぎました。

新年早々トラブルもあり、なかなか記事を書くことができずに前回の投稿からしばらく時間が経ってしまいました。

出足は遅れましたが、今年も好奇心のおもむくまま頑張りたいと思います。

さて、今回は普段私が使っている轆轤(ろくろ)の話をします。

石川県から奈良県に引越す時に手に入れたこの轆轤は、仙台の「ろくろ屋」さんと言う工房で作られました。

そして、「ななこちゃん」と名前を付けて日々こき使っております。

「ななこちゃん」を手に入れたきっかけを話す前に、簡単に轆轤の歴史を説明したいと思います。

轆轤は中国から伝わり、日本では弥生時代には轆轤を使って木製の器が作られていたと考えられています。

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石川県立挽物轆轤研修所

蘆田伊人 編『大日本地誌大系』第24巻,雄山閣,昭5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1179193 (参照 2023-03-04)

初期の頃は、削る人と轆轤を回す人の2人で作業を行っていました。

石川県立挽物轆轤研修所

その後、一人で足で踏んで轆轤を回転させながら削る「足踏み轆轤」ができました。

石川県立挽物轆轤研修所
現在、主に石川県山中温泉で使われている形。

電動轆轤は、大正時代頃から登場して太平洋戦争後全国に広がりました。 轆轤にベルトをかけ滑車につないで電動モーターで動かします。

私は山中温泉で、空き工房を借りて、こちらのタイプの轆轤を使っていました。

奈良に帰る時も山中式の轆轤を設置する予定をしていましたが、機械のことは素人ではよくわからないので、多少知識のある父に頼んで手伝ってもらおうと簡単に考えていました。

しかし、実際に轆轤の構造を見た父は、轆轤と滑車をつなぐベルトには大体1.5m以上の距離が必要であったり、思っていた以上に作業が大がかりになることを心配していました。

そんな時、山中温泉の轆轤技術研修所(ろくろぎじゅつけんしゅうじょ)に設置されていた一台の轆轤が父の目に留まりました。 この轆轤は、仙台の「ろくろ屋」さんが作った試作機で、私の知っている山中式轆轤から比べるとかなり小型で轆轤とモーターを直接つないで動かすタイプです。

父は、かなり気に入った様子で私にこの轆轤にするように勧めてきました。

私は、この時すでに山中式轆轤を手に入れていたので、正直に言うと父の提案にはあまり乗り気ではありませんでした。

せっかく山中で轆轤を学んだのに山中式轆轤を使わないのは、「お世話になった師匠にも申し訳ない気がする」などのこだわりもありました。

しかし、私の実家と呼んでいる所は団地で持ち家が無く工房にできる物件を借りて轆轤を設置する必要があり、今後引越す可能性もあるため軽量なこの轆轤にした方が良いのかなと思いました。

それから、山中には轆轤をメンテナンスできる人がいなくなった事も「ろくろ屋」さんの轆轤を検討しようと思ったきっかけでした。

後日「ろくろ屋」さんが山中温泉に来られ、新しい轆轤についていろいろと説明してくださいました。

その時、設計図を見せながら嬉しそうに轆轤の説明をする「ろくろ屋」さんの姿を見て「こんなに楽しそうに自作の機械を紹介する人の作るものは絶対にいい轆轤に違いない!」と直感で感じて、今までのモヤモヤがすっかり吹き飛んで「この轆轤を手に入れたい!」と思いました。

「ろくろ屋」さんは、仙台出身の研修生から縁がつながり、新たに研修生にも使いやすい轆轤を設計してくださいました。

それから、奈良に帰り父と二人で(ほぼ父が頑張った)轆轤を設置して作業机や椅子などを作りました。

轆轤を乗せる台は作っていただいたもので、下の段には速度調整などを行うインバータと木地を吸引しながら挽くための真空ポンプが入っています。

親子そろって詰めが甘いので、肝心な所でネジが1本足りなくてわざわざ買いに行くなど、凡ミスや二度手間などが相次いで完成しそうで中々完成せず結構時間がかかりました。

出来上がった机はガタガタするなど完璧な仕上がりではありませんが、それもいい思い出となって轆轤とこの作業場は私の大切な財産になりました。

そして、この轆轤に「ななこちゃん」と名付けたきっかけは、轆轤のろくを数字の6にかけ、この轆轤を使って次に行くという思いを込めて6の次の7の「ななこちゃん」にしました。

また、私は縁起物となるような器を作りたいと思っているのでラッキーセブンの意味も込めて名付けました。

私は師匠に1から10まで手作業の器作りを学びました。

そして、独立して自分で仕事を始めると周囲は量産型の機械を使い、1部手作業であったりと完全な手作業で器を作っているのは、師匠と私のような研修所の卒業生などわずかな人たちでした。

勉強中は周りの状況を見ていなかったので全然気が付かず、みんな手作業率多めと思っていたのでとても衝撃をうけてしまいました。

私は、仕事が遅いので量産型の機械には太刀打ちできず、今まで勉強してきた事が産業では求められていない様な気がして最初とても落ち込みました。

この事についてはありがたいことにその後、手作業にしかできない(量産型には向かない)仕事をさせていただき、難しいわ時間はかかるわで大変でしたがそれでも自分の居場所みたいなものを作ることができました。

それから、轆轤をメンテナンスする人がいなくなってしまったことや、他の卒業生が独立後の轆轤の確保に困っている様子などを見て、なんとなく行き詰まり感を感じたり、今後の仕事や収入面の事などいろいろな思いが入り混じって奈良に帰る事にしました。

どんなにやる気に満ち溢れていても道具や機械が無ければ仕事はできません。職人にとって轆轤は単なる物では無く相棒です。

山中温泉で仕事をしていた時、ベルトが切れたりするなどの轆轤に関するトラブルは割と頻繁にあり、その度に師匠や他の職人さんに相談しながら手探りで解決しなければなりませんでした。

そのようなこともあり、機械の製作者に直接相談できる現在の環境はとても心強いです。

「ろくろ屋」さんの轆轤に出会い「この轆轤を使って何か楽しいことをしよう!」と思うことができました。

私は、これからも「ななこちゃん」と共に時代の流れに抗ってちまちまと手作業で器を作っていきたいなと思います。

<今回紹介させていただいた「ろくろ屋」さんのHP>

r.goope.jp

<参考にさせていただいた本>

ものと人間の文化史 31 ろくろ

著者:橋本哲夫

発行所:財団法人法政大学出版局