こんにちは、コタツです。
先日、奈良県田原本町の唐古鍵遺跡(からこかぎいせき)に行き、弥生時代の食文化や、それらにまつわる興味深い出土品を見て来ました。
唐古鍵遺跡は、弥生時代の大規模な集落跡地で広さは甲子園球場10個分あったそうです。
集落は、何重も環濠(かんごう)と呼ばれる堀で囲まれています。これは、洪水対策や運河として利用されていたそうです。
出土した土器に描かれていた絵を元に再現された楼閣(ろうかく)。唐古鍵遺跡のシンボル的存在です。
そして、この唐古鍵遺跡から約1.5㎞離れた所に唐古・鍵考古学ミュージアムがあり、弥生時代の生活を知る事ができます。
発掘された桃の種。
ビールジョッキのような土器。
唐古鍵遺跡からは、遠く離れた海の魚の骨が見つかっています。これは、海に近い集落をはじめ広い地域で交流があったためと考えられています。
魚や他の地域の特産品と交換するための品として、農作業に使う鍬(くわ)や木の器などの木製品が盛んに作られていたと考えられています。
ミュージアムでは発掘された木製品が展示されています。
木製の農具やスプーン、器など。
米の脱穀などに使われた臼。
作りかけの杓子や高杯(たかつき)。
四脚容器。
そして、下の画像は唐古鍵遺跡で発掘されて、現在は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(ならけんりつかしはらこうこがくけんきゅうじょふぞくはくぶつかん)に展示されている高杯です。
上の部分。
下の部分。
はっきりわかりませんが、上下は別の物と思われます。
唐古鍵遺跡の考古資料目録にも轆轤(ろくろ)と書いてありましたが、一目見て轆轤で作ったとわかる作りをしています。
私は、弥生時代の轆轤製品を間近で見るのはたぶん初めてで、2000年前の大先輩に対して畏れ多くも、「きれいに削っているなー」と思ってしまいました。
これらの、材料となる木は集落周辺の欅(けやき)や樫(かし)、山桑(やまぐわ)などが用いられました。
木を削る道具は主に石が使われますが、刃先が青銅製のノミや鉄製の斧、槍ガンナなども出土しているそうです。
遺跡からは、製作途中の木製品が水につけられている貯蔵庫が発見されています。
当時の道具で乾燥した硬い木を削るのは大変なため、製作途中の製品を水に浸けて柔らかくして削り、また、水に浸けることで製品の歪みを防いだと考えられています。
今回、唐古鍵遺跡の木工文化を調べてみて、古代の人は長い歴史のなかで知識を共有し材料の加工法などをいろいろ工夫する事で、緩やかではあるけど確実に進歩していっていたことがわかります。
現在は新しい技術が次々と生まれますが、その土台となる部分に古代の技術があると思いました。
日本人の物作りには、もっといい物を作りたい。より良い生活がしたい。と言う創意工夫の心がどこかで現在まで続いているのだと感じました。
※博物館の展示品の画像使用について。
今回の記事制作にあたって、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館と唐古・鍵考古学ミュージアムから撮影した画像のブログ使用の許可を得て掲載しています。