器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

500年前からサスティナブル!吉野地方の林業 -2-

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こんにちは、コタツです。
前回に引き続き吉野の林業の話をしたいと思います。

奈良県吉野町の吉野川の周辺にはたくさんの木材の工場があります。
その木材の集積地を「吉野貯木(よしのちょぼく)」と呼びます。

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前回見学させていただいた吉野中央木材さんでいただいた地図。
それぞれの工場の特徴が紹介されています。

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近鉄電車の吉野神宮駅(よしのじんぐうえき)で降りると歩いてまわれます。
ただし、トラックなどが頻繁に走って来るので注意が必要です。

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木の神様を祀る材木神社。

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山から切り出された原木が集められて毎月市が開かれます。
特に秋から冬が原木も多く出てくるので全国から買い付けの業者さんが訪れるそうです。

私も、せっかく奈良に帰って来たのだし吉野の杉やヒノキで器を作ってみたいと思い、貯木マップをたよりに材料の小売をしていただける上大木材産業株式会社(うえおもくざいさんぎょうかぶしきがいしゃ)さんを訪れました。

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お酒を入れる升を作るために製材された木材。建築材なども扱っておられるそうです。

上大さんからは、お仕事中で忙しい中、杉やヒノキがどのような物を作るのに適しているのかの特徴や、仕事に対する心構え、吉野地方の歴史や特色などいろいろお話してくださり、大変楽しく時間を忘れて話込んでしまいました。

吉野貯木は、古くは山奥で切り出された木材が吉野川に流されてそのまま和歌山に行ってしまいました。
資源が目の前を素通りして地元が潤わないため、流れて来る材木を止めて加工して出荷したのが始まりだそうです。


奈良時代、平城京や東大寺の建築のため現在の京都府の木津(きづ)に材木が集められて都へと運ばれました。
滋賀県を流れる瀬田川(せたがわ)は、宇治川(うじがわ)や木津川にもつながっており材木を運搬しやすかったためか、瀬田川周辺の山々は大量に木が切られてハゲ山もちらほら見られたようです。

吉野の林業は500年前豊臣秀吉による大阪城の建築のため吉野の天然の木材が使われました。その後切り倒された山に植林されたのが始まりだそうです。

山を畑にのように計画的に木を植えて安定的に材木を確保する現在で言うところのサスティナブル(持続可能)な林業がはるか昔から行われていました。

私は、どうしても外国から聞こえる新しい取り組みや言葉に意識が行ってしまいすぐに飛びついてしまいます。
しかし、歴史を調べると私たちのご先祖様も限りある資源を大切に工夫を重ねて守ってきました。
それらは、戦争などによって失われたものも多くあるかも知れませんが、もう一度目を向けることでこれからの時代を乗り越えていく大きな力になるように思います。

日本は木の国で、木を使ってこそこの国が活きる気がしました。




【参考にさせていただいた本やサイト】

木を育て山に生きる -吉野・山林利用の民俗誌-
編集・発行 奈良県民俗博物館

木の教え
著者 塩野米松
発行所 筑摩書房