こんにちはコタツです。
梅雨で毎日雨が降る憂鬱な天気です。
昼から雨が上がったので、奈良県五條市にある大塔郷土館に行って来ました。
こちらは鎌倉幕府の討幕の功績を挙げた大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)や明治維新の先駆けである天誅組に縁のある地だそうです。
建物は母屋がレストランで、隣にある蔵が資料館になっています。
まずは、腹ごしらえにレストランに行きました。
玄関を入るとかまどや昔の生活用具が置いてあります。
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ざるうどん定食を頂きました。喉越しが良くおいしかったです。
こちらに来た目的は、吉野地方には昔から木地屋(木地師とも言う)と呼ばれる人々が住んでいて、木地屋には、主に轆轤(ろくろ)で回転させた木を削り椀などを作る轆轤師、杓子を作る杓子屋、せいろや柄杓を作る曲物師などです。
大塔村や天川村では杓子製作が盛んに行われていて、大塔村では、茶粥など汁物をすくう坪杓子が作られていたそうです。
現在は、坪杓子を作っている人はお一人だけと雑誌か何かで読んだ事がありました。
郷土資料館で杓子や木地屋文化について知れたらいいなと思ったのですが新型コロナの影響で資料館は閉まっていて残念ながら中を見ることができませんでした。
しかし、レストランに物販コーナーがあり、杓子が置いてありました。
どれも木の表情が違っていて迷いましたが、一つ選んで購入しました。
杓子を入れた箱に「木地師最後の作品」と書いてあり気になってお店の人にたずねると、「今は坪杓子を作る人がいなくなってしまった」と話されました。私は、なんだかとてもショックを受けてしまいそれ以上何も聞く事が出来ず、杓子をかばんに入れ帰りました。
帰りの車の中でモヤモヤした気分でいろいろ考えていました。なんと言うか、長く続いて来たものが、また一つ消えてしまった。作っている人にも生活があるし、しょうがないと言えばそうなんですが、寂しい気分です。
かと言って私は普段金属のお玉を使っているし、スーパーなどには金属やシリコン製のお玉が並んでいます。
極端な話、いまだに縄文土器を日常に使う人がいないように古いものは常に消えていっています。ですが、最近はその消えていくスピードが早いような気がするのです。それは、ただ私が年をとったからそう思うだけかも知れませんが。
なんだか自分の勝手な感情を吐き出しただけになりましたが、気を取り直して買って来た栗杓子を観察してみました。
栗の木特有の黄色っぽい色です。
掬う部分はちょうど半分の所に線のように刃物で削ったあとがあります。
刃物だけで仕上げた勢いを感じます。
決まった形に合わせるのでは無く、木の形や木目の癖に合わせて作られていて、とてものびのびしていて自然なもの作りの印象です。
坪杓子の事を調べてみると、飛騨高山の有働杓子と同じく生の木を仕上げます。木が乾燥してしまうと仕事にならないため、徹夜で仕上げることもあったそうです。
私も、仕事で生の栗の木を轆轤で挽く事がありますが、すごいアクで手や服が真っ黒になります。また、アクのせいか刃物がすぐ切れなくなり、刃物を研ぐ時間のほうが長いんじゃないか?と思うことがあります。
今回手に入れた栗の杓子は、大切に、でも思いっきり使っていきたいです。
また、これからも各地の杓子や木地屋文化について時々書こうと思います。