器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

奈良茶碗と茶粥と茶飯の関係

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こんにちはコタツです。
先日、耐震工事の為に閉館していた奈良県立民俗博物館がリニューアルオープンしたので行って来ました。
そこに、奈良茶碗と呼ばれる物が展示されてあり気になったので、奈良の郷土食である茶粥、そして奈良ではあまり聞かない茶飯(ちゃめし)と合わせていろいろ調べてみました。
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奈良茶碗の存在は今まで知りませんでした。このブログを始めてから食や器の文化を調べていると、知らない事が多く出てきて自分の無知さを痛感します。しかし、新しい発見がまだまだあると思うと楽しみでもあります。

茶粥は奈良の名物としてよく聞くのですが、茶飯と言う食べ物があると知り、早速食べに行きました。
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奈良公園の奥、若草山の近くにある「茶亭ゆうすい」で茶飯とにゅうめんのセットを頂きました。
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茶飯は米と大豆をほうじ茶で炊いたご飯です。口に入れるとほうじ茶の風味が広がります。大豆もお茶のエキスを吸って香ばしく感じました。茶粥と同じように塩味などの味付けは無く漬物やおかずと一緒に食べるとおいしいです。

茶粥は、奈良だけでなく近畿地方をはじめ西日本、九州などの地域でも食べられていたようです。茶粥と言えば奈良と言われるようになったのか発祥は、はっきりとわかっていないようですが、ある説には、奈良時代東大寺の大仏建立の時に茶粥を食べて米の食い伸ばし、つまり節米することにより庶民も聖武天皇の大仏建立に協力したとあるそうです。しかし、この説は信憑性が定かでは無いようで、実際は江戸時代初期に倹約家の奈良町民が奈良高畑(たかばたけ)の神職に習った所から始まったそうです。
また、東大寺の修二会(しゅにえ)でも修行僧が茶粥を食べているそうですが、炊き上がったら茶粥の米を半分ほどザルで掬い取りお櫃に入れておきます。この部分を「あげ茶」の略で、「ゲチャ」と呼び、残りの米の少ない部分を「ゴボ」と呼ぶそうです。食べる時にゲチャの上にゴボをかけて食べるそうです。若い僧侶はゲチャだけ食べたり、年配の僧侶はゴボ多めなど米と水分を調整していたようです。この茶粥のゲチャの部分が東大寺の僧房で作られていた茶飯として、後に江戸で広まっていくのではないかと考えられています。

さて、奈良茶飯ですが始まりは江戸時代1657年の明暦の大火の後だそうです。
江戸の地に幕府ができて急速に人口が増え町が大きくなっていきました。江戸の町は度々火事が起こっていましたが、明暦の大火は江戸城を焼失し江戸の町を3分の2も焼き尽くす大変な災害でした。
その火事の後、浅草の金龍山の門前の茶店に奈良茶飯と豆腐汁、煮物などのおかずの定食を出す店が現れました。
それまで、前日から予約して食べに行く高級な料理屋はあったようですが、当日注文して手頃な価格で食べられる奈良茶飯の店は庶民の間で大人気となり、瞬く間に江戸の町で流行し、奈良茶飯のお店や屋台は増えていきました。復興のために江戸にやってきた土木作業を行う人達にも人気だったのではないでしょうか?
奈良茶飯は日本の外食産業のはじまりと言えると思います。
やがて、奈良茶飯の流行は江戸から宿場町を経て逆輸入され関西でも流行したようです。
奈良茶飯の流行に伴い茶飯や茶粥を入れる蓋付きの飯茶碗「奈良茶碗」が登場します。奈良と名前が付いていますが作られていたのは奈良では無く始めは九州の有田、後に美濃などで作られます。
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奈良茶碗を集めた図録
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形の定義はないようですが、高台が広くどっしりした形が多いようです。奈良茶飯は舟や屋台でも売られていたようなので、安定感があるように高台が広く作られていたのかなと思います。
陶磁器でご飯を食べるようになったのは江戸時代に入ってからで、それまでは漆器や木器を使っていました。最初は位の高い人達が使っていましたが、やがて庶民に広がっていきました。その間に発生した外食産業が発展すると共に奈良茶碗が生まれてたくさん流通するようになったと考えられます。

私も奈良茶碗が欲しくなり、奈良茶碗を探して古道具屋さんやリサイクルショップを何軒か見てまわったのですが、はっきり奈良茶碗とわかる物には出会えませんでした。蓋付きの小さ目の飯茶碗を手に入れました。
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どこかで読んだ記事で奈良茶碗の蓋は漬物などを乗せるるため皿として使われたので蓋を裏向けると親茶碗と柄が揃うと書いてたように思うので、これは私の中で奈良茶碗と言う事にしますっ!(強引!)
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早速この奈良茶碗で茶粥を食べてみました。
今までちゃんとした茶粥を食べた事が無いので正解はわかりませんが、スーパーに行くと茶粥用のお茶パックが売っていました。
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そして、茶粥を掬うのは大塔の栗杓子です。鍋小さすぎて大きさ合ってないけど…。
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本やネットで調べてみると、奈良は地域にもよりますが、水分多めで強火で一気に炊き上げサラサラしたお粥が好まれるようです。
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蓋に漬物を盛り付け茶粥を食べてみました。
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ほうじ茶の香りが口いっぱいに広がり、とてもおいしいです。
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昔の人は茶粥に米をいっぱい入れる事はできず餅や芋、栗、保存していたかき餅など入れて食べていたようです。

また、江戸では奈良茶漬と言う二番煎じの奈良茶で炊いた茶飯に初煎の濃いお茶をかけてお茶の風味を楽しむ食べ方もあったようです。
自分で茶粥を作ってみて、思ったよりお茶の風味が強く印象に残る食べ物だなと感じました。

こうして、奈良の人達が知らない所で奈良茶飯が流行り、奈良茶碗と呼ばれる器まで奈良が知らない所で量産されているのはとても面白いなと思いました。
最初にお店を作り奈良茶飯を看板商品にしてくれた人ありがとう!

〈参考文献〉

茶粥・茶飯・奈良茶碗 全国に伝播した「奈良茶」の秘密
著者:鹿谷勲
発行者:納谷嘉人
発行所:株式会社淡交社

奈良茶碗
発行:楠田三郎
収蔵:豊田市民芸館
製作:株式会社光琳社・京都

日本の食生活全集29 奈良の食事
著者:藤本幸平 他編
出版:農山漁村文化協会(農文協)

イチゴづくし!

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こんにちはコタツです。
今年の桜は、ぼんやりしているうちにあっと言う間に満開になって散ってしまった印象です。
先日、友人と明日香にサイクリングに行ったり。お花見バーベキューに誘ってもらったりと春らしい事を満喫しています。
新型コロナウイルスの感染拡大も2年目に突入しウンザリしてる今日この頃ですが、まだまだおウチ時間が必要かと思われます。
そんな中、スーパーでおいしそうなイチゴが売っていたのでイチゴを使ったお菓子をいろいろ作って家の中で春を感じてみました。
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超有名な「あまおう」を買いました。
私の中の憧れの食べ物であるフルーツサンド!今回はイチゴで作りました。
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イチゴを半分の部分に丸ごと乗せて切った時切り口が見えるようにします。
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イチゴの上にクリームを乗せます。食パンの耳は切り落とすと小さくなるのが嫌でいつもそのままです。
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一個失敗して切ってもイチゴはどこへ行ったのか?クリームしか出て来ませんでしたが、これは、しっかりイチゴが見える見事な断面に切れました。(自画自賛!)

次は、イチゴ大福を作りました。
私は洋菓子の方が好きなので、普段あまり和菓子を食べないのですが、イチゴ大福は大好きです。ほんとイチゴ大福考えた人は天才だと思います。
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ヘタを包丁で切ると水気が出るので、手でちぎります。
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こしあんの粉に水と砂糖を加えて練ります。餡は水加減が難しいです。
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イチゴの先端が少し出るように餡で包みます。
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白玉粉と水、砂糖を混ぜてレンジにかけます。
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途中で混ぜて、もう一度レンジにかけます。
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レンジの後よく練ると求肥(ぎゅうひ)ができます。
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8等分して。
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くっつかないように先程の餡を包めば完成です。(形悪いけど…。)

最後に、イチゴのヘタを取り砂糖を混ぜてフォークなどで潰します。
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イチゴから水分がいっぱい出てきます。
少し取り分けて、砂糖とレモン汁を加え炭酸水を注げばイチゴソーダの出来上がりです。
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残りのイチゴに牛乳、ゼラチンを加えて湯煎にかけ最後に生クリームを加えて型に流し冷蔵庫で冷やし固めればイチゴババロアの出来上がりです。
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どうした事か、途中の工程の写真をすっかり取り忘れていました。(TT)

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イチゴフルコース!
こうして並べてみると、イチゴの色合いでテーブルが華やかになります。クリスマスシーズンもイチゴの収穫量は多いようですが、やっぱりイチゴは春が似合います。
春になり、今まで沈黙していたような草木や虫が急に忙しく動き回っています。私も負けずに賑やかな雰囲気を日々の生活にも取り入れる工夫をして楽しく過ごして行きたいと思います。

ひな祭りと菱餅

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こんにちはコタツです。3月に入り普段通る道にも菜の花の黄色い姿が目に入り、いよいよ春がやって来たなと感じます。

奈良県高取町で3月1日から3月31日まで行われている「町家の雛めぐり花めぐり」のイベントに行って来ました。
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町の至る所に雛人形が飾ってあります。f:id:cotatumuri-N:20210304235051j:plain
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陶器?で出来たお屋敷の中にお雛様が入っています。


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このお人形はいろんな所にありました。

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円形に並んでいます。

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7段飾り。これぞ雛飾り!て感じの堂々としたただずまいが昔ながらの和室の雰囲気に合います。

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めっちゃかわいい!

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いろいろな所にきれいな花が飾っていました。

雛祭りは、江戸幕府が公的に定めた五節句の一つ「上巳(じょうし)の節句」で、古来中国から伝わり3月最初の巳の日に行われていましたが、後に3月3日になったそうです。
本来、自らの災厄を紙でできた人形に託して海や川に流す無病息災を願う祓いの行事でした。
やがて、平安時代に、子供達が紙などの人形を使う「ひいなあそび」と呼ばれた遊びの伝統と合わさり徐々に形を変えていき江戸時代に現代のような女の子の成長を祝う行事になったと考えられています。

雛祭りに飾られる菱餅ですが、菱餅のルーツも上巳の節句と共に中国から伝わったと言われています。当時は「母子草(ははこぐさ)」と呼ばれる春の七草の一つである「ごぎょう」を使った草餅でした。しかし、母と子をつくのは縁起が悪いとされ、「蓬(よもぎ)」が用いられるようになりました。最初は、緑一色だったのが江戸時代に「菱の実」を入れた白い餅が加わり2色になります。そして、明治時代に「くちなし」で染めた魔除けを意味する赤い餅が加わり現在の3色になります。

菱餅は江戸時代に菱形になったと考えられています。そして、なぜ菱形なのかは菱の実の形や心臓の形を模したなどさまざまな説がありますが、はっきりわかっていないようです。

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菱の実です。中に真っ白い実が入っています。栄養が豊富で昔はよく食べられていたそうです。繁殖力の強い水草で子孫繁栄や固いトゲがあることで魔除けの力があると考えられていたようです。
ちなみに、忍者が敵の追手の足止めをするために道に撒いた「撒菱(まきびし)」は、上の画像のように菱の実を乾燥させたものです。

奈良県東吉野村では、現在も蓬だけの菱餅が伝わっています。
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東吉野村の道の駅で買いました。蓬の濃い緑色がきれいです。上に乗った丸い餅は何を意味するのかわからないので、またいろいろ資料を探して調べてみようと思います。

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緑色を意識して祝い膳(?)を作ってみました。
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「たあめん」蓬と葛(くず)を練り込んだ細めのうどん。
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菜の花の酢味噌あえ。それと姫竹とタラの芽の天ぷらはスーパーで買いました。

雛祭りのイベントにあやかり春らしい気分が味わえました。

いつものようにブログ書くの遅すぎて雛祭りの3月3日はとっくに過ぎてしまいました。でも、大丈夫!東吉野村では雛祭りは旧暦の3月3日に近い4月3日に祝うそうなのです!(言い訳💦)

春を呼ぶ椿の菓子

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こんにちはコタツです。
昨年末より東北地方や北陸地方で積雪が多くて今年の冬は大変そうだなと思っていましたが、一月に入ると割と過ごしやすい日が続いて気が付けば春の訪れを感じる毎日です。

奈良では3月に入ると東大寺では「修二会(しゅにえ)」と言う行事が行われます。
修二会は日々犯す過ちを十一面観世音菩薩に懺悔し鎮護国家、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされ、1250年前に始まり、その後一度も途絶える事なく現在まで続いています。
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修二会が行われる東大寺二月堂

奈良では修二会の行事の一つである「お水取り」の呼び名で親しまれています。
お水取りの準備で僧侶達が紅白の和紙で椿の造花を作り堂内を荘厳に飾ります。
この時期だけ作られる椿を模した菓子を紹介したいと思います。
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こちらは下御門(しもみかど)商店街にある「鶴屋徳萬(つるやとくまん)」の「良弁椿(ろうべんつばき)」です。真ん中の濃い黄色の餡は卵が使ってあり日持ちしないので次の日までには食べて欲しいと話されていました。
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僧侶達が造花の椿を作っている写真が飾ってありました。


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こちらは、東向き商店街にある「千代の舎竹村」の「御堂椿(みどうつばき)」です。
花を立てた姿がきれいです。花びらの部分がモチモチして真ん中の餡との食感の違いがありおいしかったです。


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最後に、もちいどの通りにある「萬々堂通則(まんまんどうみちのり)」の「糊こぼし(のりこぼし)」です。3個入りを買うと椿が描かれたきれいな箱に入っています。他の2つに比べてかなりやわらかく、口どけがよかったです。

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お菓子を買った時に付けてくれるパンフレットを読むとお菓子を取り巻く歴史などか簡潔にまとめられていてとても面白いです。


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この椿は実家の近くの公園のものです。
椿は木へんに春と書くように春を告げる花と言われ、110歳を祝う「椿寿(ちんじゅ)」と言う言葉もあるなど、人の長寿を祝うおめでたい木で、榊(さかき)や樒(しきみ)より尊い木とされてきたそうです。

もう一つ椿の葉を使った「椿餅(つばきもち)」を紹介したいと思います。
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「おくた」の椿餅です。道明寺粉(どうみょうじこ)で餡を包み椿の葉で挟んでいます。中身は桜餅と同じです。
余談ですが、このお店はお団子がとてもおいしいです。
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椿餅を準備していただいている間に一つ頂きました。


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続いては「樫舎(かしや)」の椿餅です。
赤米を使っているのか赤飯のような色をしています。中の餡と外の餅の甘さのバランスが良くすっきりした味わいです。

椿餅は日本最古の和菓子と言われ、当時、中身の餡は無く道明寺粉を蔦(つた)の樹液を煮詰めた甘葛(あまづら)で練って椿の葉で挟んだお菓子と考えられています。源氏物語にも登場し、蹴鞠(けまり)の後に若い人達がはしゃぎながら食べたと書かれているそうです。

椿餅は京都の方がメジャーな気がします。今回何軒か和菓子屋さんを訪ねましたが、置いてないお店が多かったです。紹介したお店も販売期間は2月中だけとか、あまり長く無いようです。

今回、和菓子を買いに奈良の街中を歩いた時に感じた印象は、寒い冬を終えてお水取りを楽しみに待つ活気を街中のいろいろな所で感じました。
私は、昔から奈良公園やならまちが好きでしょっちゅう歩きまわっているのですが、お水取りに特別な感情を持った事もなく、「今年もそんな季節やなー」位にしか思っていませんでした。しかし、新型コロナが流行して本来賑わう時期に閑散とした商店街や静かな奈良公園を見てると毎年当たり前だと思っていた光景はこのままではどんどん消えてしまうなと感じました。お水取りはこの長くて寒い冬のような一年をなんとかやり過ごし災厄を終わらせて春を望む人達にとって希望の行事なのだと思いました。

2021バレンタインチョコレート食べ比べ!

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こんにちはコタツです。
チョコレート好きの私にとって超重要イベントのバレンタインデーが近づいて来ました。
チョコレートの事になると、ただでさえ狭い心しか持っていないのにさらに狭くなってしまい、チョコレートは自分で食べたいので、あまり人にはあげたくありません。
そこで、バレンタイン商品をいろいろ買ってきて誰にもあげず1人で食べ比べてみました。
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全部並べた至福の瞬間!

まず、スターバックスコーヒーから出た「ルビーチョコレートケーキ」です。
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数年前から出てきたピンク色のルビーチョコレートを使ったケーキです。
ピンクの見た目が華やかな印象です。でも、どうしても色から苺味を想像してしまいます。私は、チョコレートは別にピンクでなくてもよいと思います。実際食べたら、味はホワイトチョコレートに近い感じです。
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中は全体的にムース生地で底にタルト生地、その上にルビーチョコレートと生クリームを混ぜたガナッシュがあります。表面にラズベリーの粒が飾ってあります。全部の層を一気に食べると味の変化があっておいしいです。

続いては、ミスタードーナツのピエールマルコリーニとのコラボ商品です。
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よく行くショッピングモールでは常に行列ができていて全然買えませんでしたが、場所を変えたらあっさり買えました。
まず、ピンクと白のハートから。
白はおいしかったですが、なぜかピンクのほうが、表面のホワイトチョコレートの口どけが悪く口の中に残っていました。食べ応えはかなりあり、白は違うクリームやフレークなどをはさんでいますが、やや単調な感じがしました。ピンクは、フランボワーズのフィリングの甘酸っぱさで良いアクセントになっていると思います。
後の4つもピエールマルコリーニの代表的なチョコレートをイメージして作られているそうです。下にチョコレートが敷いてあり、ドーナツの真ん中部分にはそれぞれ風味の違うクリームがたっぷり入っていて、とても豪華な作りです。
全体的に思うのはベースとなるダブルチョコレートの生地がどうしても主張してしまい、かなりミスド寄りのピエールマルコリーニと言った印象を受けました。まあ、ミスドが出してるから当然と言えば当然ですが…。昨年のピエールエルメとのコラボ商品の方が洗練されてた気がします。エルメの代表作の「イスパハン」(画像なくてすみません💦)をポンデリングで再現した「ポンデイスパハン」とか見た目も美しかったし、ミスドでは味わった事が無いライチ味のクリームとか、ミスド感は拭えない中にも「さすがエルメ!」と思ったのになぁ。今回のコラボはなんかミスドのイメージの中に収まった印象がして少し残念でした。あっでも、充分おいしいですよ。私が期待しすぎなだけです。

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ファミリーマートのザッハトルテとエクレアです。
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まずザッハトルテから、スポンジはかなり軽い感じです。(悪く言えばカスカス)でも、真ん中のムースみたいな層と表面のチョコレートが濃厚なので、バランス取れてるかなと思います。アプリコットジャムが良いアクセントになっています。
コンビニクオリティーだけあって作りは雑です。カップに材料重ねていって上からチョコレートをドローンとかけた感じ。カップとケーキはくっついています。でも、この値段でこれだけの味が楽しめるので良いかと思います。
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続いてエクレアです。
これは、かなり気に入りました。ケーキだと、全部同じ味だとアクセントが無いなどと言っているのに、不思議な事にエクレアならなぜか許せます。中がチョコクリームのエクレアは普段あまりコンビニとかで見かけないので、それもうれしいです。表面のチョコと中のクリームの甘さのバランスが良く食べ応えもありおいしかったです。

最後にサクサクパンダのルビーチョコレートバージョン。
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ついでに白黒も買ってみました。
やっぱりルビーチョコレートは苺味をイメージするからか、フルーティな酸味を感じます。
私は、普通のチョコレートで良いかな〜。
今まで全部同じ表情だと思っていたサクサクパンダの顔をじっくりみてみると、コアラのマーチのように全部表情が違いました。ただ、たまたまかも知れませんが、なんか怒ってる表情が多くてかわいい表情のパンダを探すのに苦労しました。

私は基本チョコレートは質より量で、昔、職場のチョコ好き同僚と「あそこのチョコは100円で何gだった。」と盛り上がって話してたら周囲が引いてた事がありました。
このブログではあまり食べ物に文句は言いたくないですが、大好きなチョコレートを前にやや辛口になってしまいました。それは、頑張ってもっとおいしい商品を作って欲しいからです。
でも、個人的にはルビーチョコレートブームは早く終わって欲しいし、一昔前みたいにチョコに胡椒や唐辛子を混ぜて新しい味わいをひねり出すとかはしないで欲しいです。いつまでもチョコはダークな色合いで胃が溶けそうなほどドロドロしていて欲しいです。いろいろわがままですが、チョコレート業界の皆様今後もよろしくお願いします。

白い餅とご飯

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こんにちはコタツです。
一月も終わりに近づきウキウキした正月気分もすっかり抜けてしまいました。
今回、「お米」の話を書きたいと思っていたのですが、テーマが大きくてうまくまとめる自信が無く、なかなか書き始める事ができませんでした。もっとブログを書くのに慣れてからがいいかなと思ってもみましたが、いつもの行き当たりばったりな感じでとりあえず書いてみようと思います。よろしければお付き合い下さい。

現在では、白いご飯は日本人の主食と言われていますが、庶民が白米だけの主食を食べるようになったのは昭和30年代頃からだそうです。それまでは、米に麦や稗(ひえ)、キビなどの雑穀や芋、豆など様々なものを混ぜた「かて飯」と呼ぶ混ぜご飯や雑炊のようなものを主に食べていました。
日本には、古来より「ハレ」の日と「ケ」の日と言う考え方があり、真っ白い餅やご飯はハレの日のごちそうでした。
ちなみに「ハレ」の日は、結婚式、お正月や毎月の節句などの非日常の事で、「ケ」の日は普段の日を表します。昔の人達はハレとケで食べる物や食器、着る物なども使い分けて日常と非日常を区別していました。着物のルールがハレとケの考えに基づいていると思います。お祝いの席などは訪問着を着たり、高価であっても紬(つむぎ)は普段着となります。現在ではルールもかなり緩くなっています。

お正月などに食べる真っ白なお餅とご飯は昔の人達にとって憧れの食べ物で、味だけでなく白い米には生命力や霊力が宿ると考えられていました。特に丸餅はその力を凝縮したもので、それを食べる事で生命力を体の中に取り入れる重要で位の高い食べ物と考えられています。
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仕事場に飾った鏡餅。ちょっと斜めになってしまいました。
お正月の餅は本来丸い形で、太陽や神の依代(よりしろ)である鏡を表します。関東では角餅が多く食べられていますが、江戸時代まで丸餅でした。江戸の町が発展し商人が増え、その中に餅売りが登場します。その、餅売りが分けやすいように四角く切り販売したのが角餅のはじまりと言われています。

お正月に白いお餅やご飯をたらふく食べた後、1月7日の人日(じんじつ)の節句には七草粥を食べる習慣があります。七草粥は若菜の生気を得ることで、邪気を祓い無病息災を願うため、また、お正月のごちそうで疲れた胃を休めるために食べると言われています。
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スーパーで七草が売っていたので作ってみました。

七草を食べてみて思ったのは、これは「かて飯」で、浮かれていた正月気分を日常に戻すリセットボタンのように習慣として食べられている側面もあるように私は感じました。
現在の会社員なら正月休みが終われば嫌でも会社に行かなければなりませんが、昔は雇われている人も今ほど多く無いと思うので、自分達で習慣を作ってメリハリのある生活をしないと、私みたいな怠け者なら、こたつ入ったままスマホいじって春まで出てこないと思います。そう言う意味でもハレとケの考えはあるのかなと思います。また、昔の庶民の生活は決して楽では無いと思うので、ハレの日を楽しみに日々の生活を頑張って送っていたのではないかと思います。

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1月15日は、小正月と呼ばれ小豆粥を食べる習慣があります。小豆には、ほんのり甘味があり、甘いものが貴重な昔の人達に喜ばれていたと思われます。また、小豆の赤い色は火や生命力を表し体に取り入れ魔除けや邪気を払うと考えられていました。

こうして調べると、古くから伝わる習慣には無病息災を願うものが多いなと感じます。それだけ人が健康に幸せに暮らす事は簡単では無く切実な願いであったのだろうと思いました。

そして、現在ではほとんど見かけませんが、日本人にとってご飯は生と死の場面でも登場します。昔の人は出産が始まると産飯(うぶめし)を炊き産神様に供えたそうです。人が亡くなった時にも死者のそばに箸を突き立てた枕飯(まくらめし)が供えられたそうです。これは、食べるためでは無くどちらも不安定な霊魂を安定させるためだと解釈されています。米や餅は霊魂の依つく所と考えられていたそうです。

弥生時代から始まったと言われる稲作ですが、一人でもできる狩猟とは違い、特に稲作は収穫量をあげようとすると組織的な動きが必要とされます。稲作が作り出した社会システムが形を変えながら現代まで続いているのだと思います。毎年11月23日に行われる宮中行事の新嘗祭(にいなめさい)は、天皇陛下がその年に取れた新米を天照大御神(あまてらすおおみかみ)はじめ全ての神様に供えて収穫を感謝するお祭りです。まさに国をあげて行う収穫大感謝祭です。
今回いろいろ調べてみて、お米は食べ物を超えた日本の国の精神的な芯のような存在だと感じました。
最近は糖質とかでお米を食べると太ると言われ敬遠されがちですが、現在の日本が食糧の心配なく暮らせているからだと思います。食糧が貴重な時代は効率良くエネルギーが取り入れられる大切な食べ物であったと考えます。

お米に関しては、まだ書きたいことはありますが、まとまらないので今後も少しづつ書きたいと思います。とりあえず今日はこの辺りでおわります。
ご飯いっぱい食べるぞー!


〈参考文献〉
『日本料理と天皇』
著者: 松本栄文
発行所: 株式会社 枻(えい)出版社

『日本の食文化2 米と餅』
編者: 関沢まゆみ
発行所: 株式会社 吉川弘文館

吉野の割り箸

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あけましておめでとうございます。
皆様、年末年始はいかが過ごされましたか?私は木地仕事の合間に介護施設でアルバイトしていて元旦から介護の仕事に励んでいました。今年は新型コロナの感染予防であまり人手の多い所を出歩く気も起きないのでちょうどよかったかなと思います。

年末年始のドタバタでなかなかブログ更新できませんでしたが、本日は奈良県吉野地方の割り箸の話をしたいと思います。

奈良県吉野地方は室町時代から植林による人口林で杉や檜(ひのき)を育てる林業が盛んでした。木を密集させて植え、成長に合わせて間伐を行い枝を切り落とすことで細かい年輪で外径が真円に近く先細りしない良質な木材を生産していました。
豊臣秀吉の大阪城なども吉野の木材が利用されているそうです。
建築材だけでなく、間伐された木材にもその年数によって利用方法が分けられていました。
中でも醤油や味噌を入れる樽(たる)の生産はとても盛んでした。
明治時代に樽を作る時に出る端材(はざい)を有効利用出来ないかと考えられたのが割り箸です。
最初はただ端材を一本づつナタで割っただけのシンプルなものでしたが、外食産業が盛んになるにつれ塗り箸に比べて麺類が滑りにくいことや使い捨てに出来るので衛生面で好まれ割り箸の需要がグングン伸びていきました。
吉野地方の人たちは競い合って新しい技術や機械を開発し割り箸は現在の姿になりました。

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今でも奈良県下市町は割り箸生産が盛んで割り箸を製造してる会社が多くあります。
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杉箸を祀る神社もあります。
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道路の脇にある割り箸の無人販売所です。前の道路は割と大きくて車がスピードを上げて通り過ぎます。
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箸袋に入ってないものを200円で購入しました。

またある日、下市町の温泉施設の前でイベントが開催されていて割り箸や他の特産品が紹介されていました。
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割り箸をつかんで150gを当てるゲームに挑戦しました。
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この方は150gピタリと当てておられました。
私は残念ながら130gでした(T_T)。
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参加賞に割り箸を頂きました。

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数種類の割り箸と歴史などか書かれたセットがあったので買ってみました。
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普段なんとなく使っている割り箸の形にも名前や由来について書かれていてとても興味深いです。

いろいろ本などで割り箸の事を調べているうちに、以前買った柿の葉寿司の杉板を使って割り箸を作ってみようと思いたちました。
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この箱を使います。柿の葉寿司に使われている杉の板はきれいな木が多いので、普段から器の型を作るため捨てずにとっています。
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底面の紙と横の釘を取り分解します。
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年輪の方向に刃物をあてカナヅチて少しづつ刃物をたたき木を割っていきます。イメージではスパっと割れるはずが力加減が悪いのか何度か失敗しました。
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割った材料を刃物で削って形を整えます。
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だいたいこんなもんかな?
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真ん中を慎重に3分の2位まで割ります。
最後に頭の部分をななめに削って天削(てんそげ)と言う形にして完成です。
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ちょっと釘跡などもあり形がブサイクですが、3種類作ってみました。下から天削箸、利久(りきゅう)箸、初期のナタで割っただけの形です。ちなみに利久箸は千利休(せんのりきゅう)が考えた形だそうですが、そのままの字だと利を休むとなるので商売には向かないので利久となったそうです。

早速使ってみます。
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うまく割れるかなあ。緊張の一瞬です。
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割れたー!きれいに割れました!
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麺もすべらないし、おあげさんもうまくつかめます。麺を口に入れた時に杉の良い香りも口の中に広がりました。うまくできたので食べ終わった後捨てるのがもったいないです。

私は以前から割り箸を貧乏くさく何度も洗って使ったりしていました。そしたら、引っ越しの時使ってない割り箸が大量に出て来て、それ以来割り箸だけに割り切って使い捨てにしています。家で食事する時も麺類などは割り箸で食べるように使い分けています。
ただ、思うのは使い終わった割り箸をゴミとして捨てるのはもったいないなと思います。新聞紙や空き缶みたいに回収してくれる所があればいいなと思っています。他人任せな発想ですが、バイオマス発電みたいなのに使えたらいいなと考えています。

以前マイ箸ブームがあり、資源保護のため外食の時に割り箸を使わないように自分の箸を持ち歩くのが流行った時期がありました。私も当時はマイ箸を買ったりしていました。現在では、間伐材を使った割り箸が見直されてきて割り箸が資源の無駄使いと言う声はあまり聞かれなくなりました。吉野地方でも樽の生産は少なくなりましたが現在でも建築材の端材などで割り箸が作られているそうです。
今回いろいろ調べてみて、吉野地方の割り箸生産は限りある資源を無駄なく使おうという発想から生まれたものである事を知りました。これからのこの考えを大切に普段の生活で割り箸を使って行こうと思います。
もし、吉野に来られる事があればぜひ吉野杉の割り箸を買ってみて下さい。

〈参考文献〉
木を育て、山に生きる 
吉野・山林利用の民俗誌
平成19年度特別展図録

著者  奈良県立民俗博物館編
出版社 奈良県立民俗博物館

割箸が如何にして生まれ育って来たかを知って今後を考えて見ましょう

著者 絹谷禎聡