器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

白い餅とご飯

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こんにちはコタツです。
一月も終わりに近づきウキウキした正月気分もすっかり抜けてしまいました。
今回、「お米」の話を書きたいと思っていたのですが、テーマが大きくてうまくまとめる自信が無く、なかなか書き始める事ができませんでした。もっとブログを書くのに慣れてからがいいかなと思ってもみましたが、いつもの行き当たりばったりな感じでとりあえず書いてみようと思います。よろしければお付き合い下さい。

現在では、白いご飯は日本人の主食と言われていますが、庶民が白米だけの主食を食べるようになったのは昭和30年代頃からだそうです。それまでは、米に麦や稗(ひえ)、キビなどの雑穀や芋、豆など様々なものを混ぜた「かて飯」と呼ぶ混ぜご飯や雑炊のようなものを主に食べていました。
日本には、古来より「ハレ」の日と「ケ」の日と言う考え方があり、真っ白い餅やご飯はハレの日のごちそうでした。
ちなみに「ハレ」の日は、結婚式、お正月や毎月の節句などの非日常の事で、「ケ」の日は普段の日を表します。昔の人達はハレとケで食べる物や食器、着る物なども使い分けて日常と非日常を区別していました。着物のルールがハレとケの考えに基づいていると思います。お祝いの席などは訪問着を着たり、高価であっても紬(つむぎ)は普段着となります。現在ではルールもかなり緩くなっています。

お正月などに食べる真っ白なお餅とご飯は昔の人達にとって憧れの食べ物で、味だけでなく白い米には生命力や霊力が宿ると考えられていました。特に丸餅はその力を凝縮したもので、それを食べる事で生命力を体の中に取り入れる重要で位の高い食べ物と考えられています。
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仕事場に飾った鏡餅。ちょっと斜めになってしまいました。
お正月の餅は本来丸い形で、太陽や神の依代(よりしろ)である鏡を表します。関東では角餅が多く食べられていますが、江戸時代まで丸餅でした。江戸の町が発展し商人が増え、その中に餅売りが登場します。その、餅売りが分けやすいように四角く切り販売したのが角餅のはじまりと言われています。

お正月に白いお餅やご飯をたらふく食べた後、1月7日の人日(じんじつ)の節句には七草粥を食べる習慣があります。七草粥は若菜の生気を得ることで、邪気を祓い無病息災を願うため、また、お正月のごちそうで疲れた胃を休めるために食べると言われています。
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スーパーで七草が売っていたので作ってみました。

七草を食べてみて思ったのは、これは「かて飯」で、浮かれていた正月気分を日常に戻すリセットボタンのように習慣として食べられている側面もあるように私は感じました。
現在の会社員なら正月休みが終われば嫌でも会社に行かなければなりませんが、昔は雇われている人も今ほど多く無いと思うので、自分達で習慣を作ってメリハリのある生活をしないと、私みたいな怠け者なら、こたつ入ったままスマホいじって春まで出てこないと思います。そう言う意味でもハレとケの考えはあるのかなと思います。また、昔の庶民の生活は決して楽では無いと思うので、ハレの日を楽しみに日々の生活を頑張って送っていたのではないかと思います。

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1月15日は、小正月と呼ばれ小豆粥を食べる習慣があります。小豆には、ほんのり甘味があり、甘いものが貴重な昔の人達に喜ばれていたと思われます。また、小豆の赤い色は火や生命力を表し体に取り入れ魔除けや邪気を払うと考えられていました。

こうして調べると、古くから伝わる習慣には無病息災を願うものが多いなと感じます。それだけ人が健康に幸せに暮らす事は簡単では無く切実な願いであったのだろうと思いました。

そして、現在ではほとんど見かけませんが、日本人にとってご飯は生と死の場面でも登場します。昔の人は出産が始まると産飯(うぶめし)を炊き産神様に供えたそうです。人が亡くなった時にも死者のそばに箸を突き立てた枕飯(まくらめし)が供えられたそうです。これは、食べるためでは無くどちらも不安定な霊魂を安定させるためだと解釈されています。米や餅は霊魂の依つく所と考えられていたそうです。

弥生時代から始まったと言われる稲作ですが、一人でもできる狩猟とは違い、特に稲作は収穫量をあげようとすると組織的な動きが必要とされます。稲作が作り出した社会システムが形を変えながら現代まで続いているのだと思います。毎年11月23日に行われる宮中行事の新嘗祭(にいなめさい)は、天皇陛下がその年に取れた新米を天照大御神(あまてらすおおみかみ)はじめ全ての神様に供えて収穫を感謝するお祭りです。まさに国をあげて行う収穫大感謝祭です。
今回いろいろ調べてみて、お米は食べ物を超えた日本の国の精神的な芯のような存在だと感じました。
最近は糖質とかでお米を食べると太ると言われ敬遠されがちですが、現在の日本が食糧の心配なく暮らせているからだと思います。食糧が貴重な時代は効率良くエネルギーが取り入れられる大切な食べ物であったと考えます。

お米に関しては、まだ書きたいことはありますが、まとまらないので今後も少しづつ書きたいと思います。とりあえず今日はこの辺りでおわります。
ご飯いっぱい食べるぞー!


〈参考文献〉
『日本料理と天皇』
著者: 松本栄文
発行所: 株式会社 枻(えい)出版社

『日本の食文化2 米と餅』
編者: 関沢まゆみ
発行所: 株式会社 吉川弘文館