器とたべもの

食べ物や器のことをとりとめなく書いていきたいです。時々木の器を作ってます。

ひな祭りと菱餅

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こんにちはコタツです。3月に入り普段通る道にも菜の花の黄色い姿が目に入り、いよいよ春がやって来たなと感じます。

奈良県高取町で3月1日から3月31日まで行われている「町家の雛めぐり花めぐり」のイベントに行って来ました。
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町の至る所に雛人形が飾ってあります。f:id:cotatumuri-N:20210304235051j:plain
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陶器?で出来たお屋敷の中にお雛様が入っています。


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このお人形はいろんな所にありました。

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円形に並んでいます。

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7段飾り。これぞ雛飾り!て感じの堂々としたただずまいが昔ながらの和室の雰囲気に合います。

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めっちゃかわいい!

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いろいろな所にきれいな花が飾っていました。

雛祭りは、江戸幕府が公的に定めた五節句の一つ「上巳(じょうし)の節句」で、古来中国から伝わり3月最初の巳の日に行われていましたが、後に3月3日になったそうです。
本来、自らの災厄を紙でできた人形に託して海や川に流す無病息災を願う祓いの行事でした。
やがて、平安時代に、子供達が紙などの人形を使う「ひいなあそび」と呼ばれた遊びの伝統と合わさり徐々に形を変えていき江戸時代に現代のような女の子の成長を祝う行事になったと考えられています。

雛祭りに飾られる菱餅ですが、菱餅のルーツも上巳の節句と共に中国から伝わったと言われています。当時は「母子草(ははこぐさ)」と呼ばれる春の七草の一つである「ごぎょう」を使った草餅でした。しかし、母と子をつくのは縁起が悪いとされ、「蓬(よもぎ)」が用いられるようになりました。最初は、緑一色だったのが江戸時代に「菱の実」を入れた白い餅が加わり2色になります。そして、明治時代に「くちなし」で染めた魔除けを意味する赤い餅が加わり現在の3色になります。

菱餅は江戸時代に菱形になったと考えられています。そして、なぜ菱形なのかは菱の実の形や心臓の形を模したなどさまざまな説がありますが、はっきりわかっていないようです。

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菱の実です。中に真っ白い実が入っています。栄養が豊富で昔はよく食べられていたそうです。繁殖力の強い水草で子孫繁栄や固いトゲがあることで魔除けの力があると考えられていたようです。
ちなみに、忍者が敵の追手の足止めをするために道に撒いた「撒菱(まきびし)」は、上の画像のように菱の実を乾燥させたものです。

奈良県東吉野村では、現在も蓬だけの菱餅が伝わっています。
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東吉野村の道の駅で買いました。蓬の濃い緑色がきれいです。上に乗った丸い餅は何を意味するのかわからないので、またいろいろ資料を探して調べてみようと思います。

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緑色を意識して祝い膳(?)を作ってみました。
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「たあめん」蓬と葛(くず)を練り込んだ細めのうどん。
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菜の花の酢味噌あえ。それと姫竹とタラの芽の天ぷらはスーパーで買いました。

雛祭りのイベントにあやかり春らしい気分が味わえました。

いつものようにブログ書くの遅すぎて雛祭りの3月3日はとっくに過ぎてしまいました。でも、大丈夫!東吉野村では雛祭りは旧暦の3月3日に近い4月3日に祝うそうなのです!(言い訳💦)